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長崎で原爆を体験した影井富さん。関連する記事のスクラップを続ける=新温泉町
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長崎で原爆を体験した影井富さん。関連する記事のスクラップを続ける=新温泉町

 「上空に白く丸いものが浮いていた。後で知ったが、原爆のキノコ雲だった」-。長崎市に原爆が投下された1945(昭和20)年8月9日、兵庫県新温泉町の影井富さん(92)は、陸軍の初年兵として近くの山にいた。ごう音や爆風に驚き、翌日には長崎の被爆地で活動し、悲惨な状況も目の当たりにした。9日は73回目の長崎原爆忌。影井さんは今、核廃絶や平和の大切さを改めて訴える。(小日向務)

 影井さんは、鳥取県岩美町生まれ。19歳の時、京都市で絹の帯を織る仕事をしていた45年春ごろ、実家に召集令状が届き、大阪府高槻市の陸軍工兵隊に入隊した。言葉遣いや武器の取り扱いなど基本的な訓練を受けている途中で、出動命令が出た。行き先も知らされず、列車で長崎に移動した。

 長崎の街に近い山地にある陣地で訓練を受けた。食事は乾パンばかり。週に1回、丼飯に豚汁のようなものをかけた料理が出て、それが楽しみだった。たまに焼酎も飲めた。

 そしてあの日、訓練で山道を歩いていた際、左側にあった長崎の上空にせん光と白い雲のようなものが見え、直後にごう音と爆風が届いた。米軍による原爆投下だった。ただ、当時は何事なのか、まったく分からなかったという。その際に痛めたのか、左側の耳は今も聞こえにくい。

 翌日、長崎への出動命令があった。レンガやコンクリート造りの建物でも、壊れているものが目立ち、街のあちこちでは火事が続いているのか、煙が上がっていた。「道路も熱く、歩いていると足が焼けた」と振り返る。

 部隊ごとに作業が割り当てられ、初年兵は遺体の回収に当たった。遺体は焼けたものが多く、連日ひたすら集めて、トラックに載せた。作業中に灰や砂が靴下に入ったのか、足が痛んだ。今でも朝晩、かゆみ止めの塗り薬が欠かせない。終戦後、貨物列車に載せられて岩美町の駅で下車。家に帰ると、母親が泣いて喜んでくれた。

 その後、新温泉町に移って会社に勤め、仕事に追われた。60歳で定年退職し、余裕が出てことで、より長崎のことが気になるようになった。体調の問題で現地には行けないが、長崎や広島の原爆忌の新聞記事を、節目ごとにスクラップしている。

 軍に在籍したのは半年程度で、実戦の経験もない。それでも当時を思い出し、「初年兵として、しかられ、殴られてばかりだった。2度と戦争には行きたくない」と顔をしかめる。「戦争や核兵器はもちろん、最近では原発の扱いも心配。どこでも平和で、幸せな生活が続けられるようにしてほしい」と強く願っている。

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