但馬

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慰霊碑に手を合わせる北村忠久さん=香美町香住区余部
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慰霊碑に手を合わせる北村忠久さん=香美町香住区余部
事故当時60歳だった橋本喜代子さん。工場に出勤した従業員の中では最年長だったという=香美町香住区余部
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事故当時60歳だった橋本喜代子さん。工場に出勤した従業員の中では最年長だったという=香美町香住区余部

 国鉄(現JR)山陰線の余部鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)で、突風にあおられた回送列車が転落して6人が死亡した事故から、28日で32年となった。朝から雪が舞い、強い風が吹き付ける中、遺族らは現場の慰霊碑に静かに手を合わせ、亡き人の冥福を祈った。

 事故は1986(昭和61)年12月28日に発生。午後1時25分ごろ、回送列車の客車7両が転落し、約40メートル下にあったカニ加工工場を直撃した。工場で働いていた地元の女性従業員5人と車掌の足立明さん=当時(54)=が命を落とした。

 三十三回忌のこの日、妻の加代子さん=当時(38)=を亡くした同区余部の北村忠久さん(74)は、墓参りを済ませた後で慰霊碑を訪れた。当時7~11歳だった子ども3人を男手一つで育て上げ、「孫と皆元気に過ごしているよ」と加代子さんに報告。「いつも守ってくれてありがとう。これからも見守り続けて」と碑を見つめて話した。

 発生時刻前後には、足立さんの遺族や、JR西日本労働組合の組合員ら17人も花を供え、黙とうをささげた。同労組は「悲惨な事故を繰り返さないために、会社組織のあり方や安全対策の検証を常に怠らずにいたい」と語った。

■助けられたことに感謝 救助された橋本喜代子さん

 余部鉄橋から落ちてきた列車で押しつぶされたカニ加工工場では当時、女性従業員8人が働いていた。香住区余部に暮らす橋本喜代子さん(92)は、車両の直撃を間一髪で免れ、救助された3人のうちの1人。「年の瀬になると、仲が良かった、亡くなった人たちの顔が目に浮かぶ」と振り返り、涙で頰をぬらした。

 加工工場の仕事納めだった事故当日は日曜で、地元の主婦ら従業員12人のうち8人が出勤した。二つの作業台に分かれて、カニの殻をむく身出し作業に当たっていたという。

 強風で揺れる窓を誰かが押さえるのが目に入ったという次の瞬間、工場が大破した衝撃で気を失った。

 「これでもう、正月ができんなぁ」。枕元の母親がつぶやいた一言で目を覚ました時は、病院のベッドで横になっていた。

 「私は崩れた屋根の下に倒れていて、助け出そうにもくぎが引っ掛かって大変だったようです」。救助された3人は、同じ作業台で働いていた橋本さんと、40代の女性たちだった。

 32年を経た今、地元で外出すればほかの2人と顔を会わす時があるが、事故の話はしたことがない。

 左手首を骨折し、右腕は肩より高く上げることもできなくなった橋本さん。首を打った後遺症で、今も両手の指先にしびれが残る。

 それでも、弱くなった足腰を奮い立たせて畑仕事に精を出す。「助けられ、長生きさせてもらい、ありがたい」。かみしめるようにつぶやいた。(金海隆至)

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