但馬

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終戦後、B29が落下傘で生野に落とした救援物資の袋。伊藤さんが保管していた=朝来市生野町
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終戦後、B29が落下傘で生野に落とした救援物資の袋。伊藤さんが保管していた=朝来市生野町

 終戦の時、旧制中学3年だった僕は、次の年に海軍兵学校を受けるつもりでした。英語が得意でね。教官から「お前は間違いなく試験に通る」とお墨付きをもらって、学徒動員も免除されて一生懸命勉強していました。敗戦はショックでしたよ。「これでもう全部パーや…」と、学校からとぼとぼ歩いて帰りました。

 終戦後のある日、ペンキ屋が捕虜収容所の建物の屋根に上っていました。「何しとるんや」と聞いたら、上空から見えるように「PW」(プリズナー・オブ・ウォー=捕虜)と書いていた。それから何日かして、B29が生野にやって来ました。

 巨大な機体が、猪野々(兵庫県朝来市生野町)の狭い谷の上を「ブワーッ」と超低空飛行するんです。たまげましたよ。家の屋根すれすれに飛んで、両翼は山につかえそうだった。食糧や衣類など、捕虜への支援物資を落下傘でどんどん投下していきました。住宅に落とすと建物が壊れてしまうので、近くの山裾を狙ってね。サングラスをしたパイロットの顔まで見えました。

 それを見た捕虜たちは一斉に外に出てきて、「落ちた物を取りに行くから手伝ってくれ」と言うんです。「よっしゃ」と一緒に山に入り、重い荷物を落下傘の紐を引きずって収容所まで運ぶと、「サンキュー」とチョコレートやレーション(戦闘糧食)をくれました。初めてコーヒーも飲ませてもらった。苦くてね。捕虜に「こんなもんよりチョコレートの方がいい」と言いました。たばこの銘柄もその時に覚えましたよ。

 その後、捕虜たちは真っさらな軍服に階級章を着けて、ピカピカの軍靴を履き、腕時計も巻いて、堂々とまちを歩くようになりましたよ。僕が当時使っていた英語の教科書は英国式で、米国人捕虜とはなかなか話が通じなかったけど、英国人捕虜からは「お前の英語はなかなかうまいな」とほめてもらいました。

 僕は今でも「ある夏の日の放課後、少年たちは川に泳ぎに行った」という英文をそらんじることができる。戦後、捕虜に教えてもらったんです。(聞き手・長谷部崇)

【B29による物資投下】 書籍「捕虜収容所補給作戦」によると、終戦後、全国の捕虜収容所に対し、屋上などに「PW」と大きく書くように要請があった。生野では1945年9月6日、B29が40個の包みを投下したという。投下日については「8月28日」や「終戦の日から数日後」とする文献もある。

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