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生野銀山を訪れた元捕虜デービッド・ラッセルさん=2005年3月31日、朝来市生野町小野
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生野銀山を訪れた元捕虜デービッド・ラッセルさん=2005年3月31日、朝来市生野町小野

 終戦後のある日、仲良くしていたデービスという米国人捕虜から「自転車の後ろに乗せてくれ」と言われてね。彼と一緒に、竹原野(兵庫県朝来市生野町)や上生野(同)まで、鶏を買いに行きました。

 当時、僕の自転車にはタイヤがなかったんです。物のない時代でしたから、リムにぐるりとホースをくくりつけていた。後ろに大きな男を乗せてペダルを踏むと、ものすごく重かった。道中、ホースが切れたこともありました。

 農家に着くと、僕が通訳係を務めて、チョコレートやたばこと鶏を交換します。「コッコ、コッコ」いうてるやつを袋に入れてね。それを持ち帰って収容所でつぶしていました。戦時中はろくにものを食べていなかったから、肉がほしかったんでしょうね。

 私の家の隣には楠さんという人がいて、鉱山の運搬夫だった。おとなしかったけど、人格者でね。戦時中は坑内で捕虜たちの面倒をよく見たらしい。終戦後、捕虜たちが楠さん宅を訪ねてきて、袋に入った米を「ドン」と置いていった。彼らは自分たちが受けた恩を忘れていなかった。

 一方で捕虜を酷使した日本人は仕返しを恐れ、クモの子を散らすようにいなくなった。軍属で悪い人がいた。柔道が強く、捕虜に対してひどい扱いをしていたと聞きました。その人もどこかに逃げてしまった。捕虜たちもだいぶ探したが、結局見つからなかったそうです。

 捕虜たちが帰国の途に就く時は、手を振り上げて喜んでね。軍用トラックに乗って、生野駅まで行ったのかな。「ウワーッ」と歓喜の声を上げて帰って行きましたよ。デービスは「帰ったら必ず手紙をよこす」と言っていましたが、便りは来ませんでした。

 2005年、英国人の元捕虜デービッド・ラッセルさんが孫娘らと生野まで来るというので、私も会いに行きました。一緒に収容所跡や生野銀山を訪ねてね。歓迎会で、彼は「見よ東海の空明けて」(愛国行進曲)と歌ったんです。「よく覚えてるな」とびっくりしましたよ。(聞き手・長谷部崇)

【捕虜たちの帰還】 書籍「捕虜と通訳」によると、捕虜たちは1945年10月上旬、生野駅から特別列車で出発。駅で見送った住民によると、客車の側面には大きな英国旗が張られていたという。朝来市生野支所によると、元捕虜の家族らが今でも時折、収容所跡を訪れるという。

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