但馬

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竪坑のケージに乗り込む鉱員ら=昭和中期(朝来市提供)
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竪坑のケージに乗り込む鉱員ら=昭和中期(朝来市提供)
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竪坑のケージに乗り込む鉱員ら=昭和中期(朝来市提供)

 入社したての頃は火薬を運ぶアルバイトもやりました。

 猪野々(兵庫県朝来市生野町)の山には、発破に使う火薬庫が二つあった。火薬を積んだ馬車が日曜にやってきて、若い衆が動員されるんです。「火薬が来たぞー」と声がすると飛んで行ってね。重さ15キロくらいの火薬が入った箱を二つ背負って山を登りました。

 山の頂に近い火薬庫まで運ぶと、白い碁石を一つもらえました。中腹にあった火薬庫は黒い碁石。碁石の数だけお金をもらえて、白い碁石は倍以上賃金が高いんです。力仕事なので3往復もするとヘトヘトでしたが、いい小遣い稼ぎでしたよ。

 坑内では半年ほどポンプマンをした後、巻揚機の運転係になりました。巻揚機とは、ケージ(エレベーター)に鉱員を乗せて、地下へ下ろす機械です。生野銀山の観光坑道に展示されている「光栄竪坑」の巻揚機は、僕が生まれた年と同じ1929(昭和4)年製。上下のケージに6人ずつ、計12人乗れました。

 運転係は巻揚機のインジケーター(計器)でケージの位置を見ながら、プラットホームの所でピシッと止めるんです。少し高かったりすると、下からインターホンで「高うて降りられん。何しとんや!」と言ってくる。操作が難しい「五井竪坑」の巻揚機には、椿野さんという随一の腕を持つ人がいて、僕にも丁寧に教えてくれました。

 その後、運転区(排水ポンプや巻揚機を管轄する区)の書記になりました。仕事ぶりがよかったのか、上の職員さんから一目置かれ、鉱員の勤務査定を任されました。

 運転区の鉱員は全部で40人ほどいて、私の筆1本で毎日の給料が決まるんです。それをみんな知ってるもんだから、おっちゃん連中がおべっかを言ってきたり、「伊藤君、たばこ吸え」ってたばこをくれたりするんですよ。どこで手に入れたのか、キャラメルを持ってきた人もいました。そういう人にはいい点を付けてやるわけです(笑い)。

 もちろん、椿野さんにも高い評価を付けました。今でも全員の名前を覚えていますよ。(聞き手・長谷部崇)

【生野鉱山の火薬庫】山田治信さんの著書「生野鉱山採鉱思い出話」によると、現在の史跡・生野銀山の観光坑道出口にもかつて、火薬の取扱所があった。鉱山稼働時は本坑までつながっておらず、その日に使う火薬類が持ち込まれ、鉱山に入る鉱員らに手渡されていた。

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