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当時の状況を語る谷口敏夫さん=豊岡市内
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当時の状況を語る谷口敏夫さん=豊岡市内

 74年前の8月6日、広島に原爆が投下された。2日後に海軍特別年少兵として救護業務のため広島に入った谷口敏夫さん(91)=兵庫県豊岡市=は「豊岡市原爆被害者の会」会長を務める。メンバーは減り、体調の不安もあって会長退任を検討したが「ここにも被爆者がいるのだと忘れられないためには、続けるしかない」と、会長継続を再決意した。(石川 翠)

 豊岡で生まれ育った谷口さんは当時、海軍特別年少兵として呉海軍病院(広島県呉市)のレントゲン科に配属されていた。8月8日に入った広島で、真っ黒になって倒れている人の「兵隊さん、助けて」とうめく声を聞き、あまりの惨状になすすべもなかった。

 「しっかりしてください、と声を掛けることしかできなかった」と思い出す。物資の不足とがれきの散乱のため、1時間ほどで呉市に引き返した。15日にも命令を受けて救護に向かい、帰りの駅で終戦を知ったという。

 2012年、同会の会長に就任した。「広島市内には2日間しかおらず、もっと過酷な体験をした人はたくさんいるが、知ってもらえる機会になれば」との思いだったという。会員の体験をまとめた記念誌を作成したり、豊岡市内の講演会で体験談を語ったりした。

 17年、体調を考慮して高齢者施設に入居。「人の世話になっている状態で会長を続けてもいいのだろうか」と悩み、退任の意思を事務局に伝えた。今年7月下旬、豊岡市内で開かれた総会でメンバーらに話したが、状況はみな同じ。後任の適任者はいなかった。

 結局、支援をしてきた事務局が全面的に業務を行うことで、会長を続けることになった。鬼籍に入ったメンバーの顔が浮かび、「具体的な活動は厳しいが、存続することに意義があると思うようになった。もう少し頑張る」と話した。

   ◇   ◇

 「豊岡市原爆被害者の会」は、たじま医療生活協同組合(同市今森)が事務局業務を担うことで継続が保たれている。同組合は2007年から但馬に暮らす被爆者に対し、被爆者健康手帳の取得や原爆症認定の申請を支援。これまで支援した市内の被爆者は50人以上になるが、今年、会に名を連ねるのは17人になった。

 同組合の運営するろっぽう診療所の彦坂陽子看護師長(45)は「入手できる被爆者の名簿はなかったので、少しずつ関係者を回ってたぐった。都市部に比べて、被爆したことを周囲に明かしたくない人も多く、最後まで会えなかった人もいて心残り」と振り返る。「当事者の言葉には重みがある。会が続くようにこれからも尽力したい」と話した。

 県内の団体をまとめる県原爆被害者団体協議会(神戸市)の立川重則事務局長(75)は「高齢化による解散が全国で相次いでおり、近畿でも滋賀県や奈良県では県組織がなくなった。2、3世に引き継ぐなど、今後の在り方を考えていかなければいけない」と述べた。

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