但馬

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「銀山友の会」の仲間たちと。前列右から4人目が伊藤真一郎さん=1994年11月、史跡・生野銀山(提供)
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「銀山友の会」の仲間たちと。前列右から4人目が伊藤真一郎さん=1994年11月、史跡・生野銀山(提供)

 1973年、生野鉱山(兵庫県朝来市)の閉山に伴い、坑内の排水ポンプをほぼ全て引き上げることになりました。われわれが長年働いた坑道は、下から順に水没していった。竪坑から地下をのぞくと、闇の中でザーッと水の落ちる音がしました。

 閉山の少し前、佐渡金山(新潟県佐渡市)で「ゴールデン佐渡」という会社が観光事業を始めていた。そこで、三菱金属鉱業の社長に「生野もシルバー生野(今の『史跡・生野銀山』の運営会社)という形で残してもらえませんか」とお願いしたんです。すると社長は乗り気になって、観光化の計画が立ち上がった。僕も張り切って、お土産用の黄銅鉱をたくさん出しましたよ。74年6月に生野銀山がオープンすると、その鉱石が飛ぶように売れたそうです。

 それから20年後の94年、「但馬・理想の都の祭典」に合わせて、生野銀山でガイドを養成することになりました。鉱山OBの仲間15人ほどに声を掛け、「銀山友の会」を立ち上げました。僕がガイドの教本を作りました。

 僕はおしゃべりな方だし、ガイドは楽しかった。13年間ガイドを続けて、引退した後も散歩の途中に口ずさんでいたほどです。

 「本日はようこそ。シルバー生野にお越しいただきましてありがとうございます。まず、生野銀山と生野町のアウトラインを簡単に説明します。生野町は但馬の南の玄関口で、現在も『但馬口』という地名が残っています…」とね。807(大同2)年の開坑に始まって、織田、豊臣、徳川時代と生野銀山の歴史をたどっていきます。資料館に展示してある僕のおやじの「坑夫取立免状」なんかも面白おかしく紹介する。毎日のようにお客さんを案内しました。

 鉱山の思い出はまだまだ語り切れません。何度でも生野銀山に足を運んでほしい。ガイドの解説に耳を傾け、展示物に目をこらしながら、鉱山で働いた人々の汗や涙を想像してみてください。知らない世代に伝えていくこと、それが僕にできる鉱山への恩返しだと思っています。(聞き手・長谷部崇)=終わり=

【史跡・生野銀山】三菱金属鉱業生野鉱業所の閉山から1年3カ月後、金香瀬本坑などを整備し、1974年6月にオープン。当初の観光坑道は約300メートルだったが、92年に約1キロまで延長した。坑内ではマネキン人形が江戸や昭和の鉱山労働を再現している。

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