針でレコードを再生する「蓄音機」は、今もマニアが愛用している。「針の町」として栄えた兵庫県新温泉町浜坂地域では現在も蓄音機針を製造。平成生まれの記者が「奥田製針工場」(同町浜坂)を訪ね、昭和以前に多くの人々の心を潤したアナログ装置を支えてきた技術の一端を見せてもらった。(末吉佳希)
JR浜坂駅から海側へ徒歩10分。工場を訪ねると、油で黒ずんだ作業着姿の奥田博社長(76)がにこやかに出迎えてくれた。
創業は1918年。工場は奥田さんの自宅に併設され、土間の先に作業場がある。蓄音機針のほか、漁業用の釣り針など百数十種を手掛ける。従業員は8人。
奥田さんの案内で奥へ進み、工場に続くドアを開く。金属を削る甲高い音が鼓膜を揺らす。油と鉄の臭いで満ちた工場内には専用の機械が30台近く並び、作業員数人が機械に向かっていた。
奥田さんが「針製品の多くはこれが元になる」と足元に目をやった先には、直径約1ミリ、長さ数キロの針金がドーナツ形に束ねられた状態で積まれていた。
加工は、曲がった状態の針金を伸ばす「直線機」で長さ15~17センチに切りそろえる作業から始まる。真っすぐになった針金は、円盤状の砥石(といし)が回転する「尖頭(せんとう)機」に押し当てられると、火花を散らしながら細く鋭く削られていく。
縫い針など穴の開いた製品を加工する「高速三連機」では「平らにする、穴を開ける、切断する」が数秒間隔で施される。
成形後は硬度を高めるため、800~900度の釜で焼く。「ただ硬いだけでは、力を入れると折れる。ある程度の柔軟さも必要」と奥田さん。1時間ほど熱した後、専用の油で冷まし、再び焼いて硬さを調節する。温度や時間の調節は長年の作業で培った感覚に頼るという。
さらに奥へ進むと、押しピンなどの文具を製造していた。樹脂を流し込む型に、針を次々と型にはめて「成形機」で樹脂を焼き付ける。近年は文具用の針が製造の3~4割を占めるという。奥田さんは「昔ながらの縫い針や工具用の針だけでは生き残れない」と、時代を超えてきた自負を見せる。
事務所で奥田さんが歴代の製品を見せてくれた。蓄音機の針は音を楽しむためにさまざまなタイプがある。貝殻が目印のブランド「シェル」のケースは時代ごとに文字のデザインや色使いに違いが見られ、味わいがあった。
蓄音機の需要は減る一方というが、現在も年間約6万本を出荷。奥田さんは「一部のマニアは今でも針を欲してくれる。その期待に応えたい」と話す。
蓄音機を取り出し、黒い盤にそっと針を降ろす。長さ16ミリの針が溝を走ると、まろやかな音が響く。令和になった今も、そこには「昭和レトロ」が息づいていた。
