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小学生に舞い方を教える浜坂高校麒麟獅子舞部のメンバー=新温泉町浜坂
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小学生に舞い方を教える浜坂高校麒麟獅子舞部のメンバー=新温泉町浜坂
香美町香住区鎧の麒麟獅子は但馬では唯一、獅子頭が黒い=2018年、香美町香住区
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香美町香住区鎧の麒麟獅子は但馬では唯一、獅子頭が黒い=2018年、香美町香住区
金色の頭と赤い装束の胴体をゆったりとうねらせる麒麟獅子舞=新温泉町浜坂(新温泉町提供)
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金色の頭と赤い装束の胴体をゆったりとうねらせる麒麟獅子舞=新温泉町浜坂(新温泉町提供)
麒麟獅子舞が初めて披露されたとされる鳥取東照宮=鳥取市
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麒麟獅子舞が初めて披露されたとされる鳥取東照宮=鳥取市

 きらびやかな獅子舞がゆったりと動き、赤い装束が波打つ。金色の頭には角が一本。鳥取県東部や兵庫県但馬北西部の伝統芸能「麒麟獅子舞」は、幸福の象徴として地域に親しまれ、2019年に日本遺産に認定された際には「幸せを呼ぶ霊獣」と称された。前回の週刊たじまでは、麒麟獅子舞を盛り上げようとする隣県・鳥取の試みを紹介した。今回は但馬での取り組みを紹介するとともに、脈々と受け継がれる麒麟獅子舞のルーツを探る。(末吉佳希)

 麒麟獅子舞は、但馬北西部の10カ所と鳥取県東部を合わせて計180カ所以上で伝承されている。鳥取からの移住者によって伝えられた北海道と広島県にも文化が残る。本場である因幡の麒麟獅子舞は、太鼓や笛を使った緩やかなはやしが特徴だ。

 一方、但馬は「ジャンジャン」と呼ばれる銅拍子で軽快なにぎやかさを演出。宇都野神社(新温泉町浜坂)と為世永(いよなが)神社(同町諸寄)では麒麟獅子が2頭登場することもある。香美町香住区の鎧(よろい)地区では唯一、頭部が黒色をしており、本来優しい表情の猩々(しょうじょう)が鬼の形相をしている。

 なぜ地域によって違いがあるのか。麒麟獅子舞の歴史に詳しい浜坂先人記念館「以命亭」(新温泉町浜坂)の川夏晴夫さんは「時の政治や人々の暮らし、営みの結果が生んだ文化なんです」と話す。続けて、「それは江戸時代にさかのぼります」と麒麟獅子舞の起源を教えてくれた。

 江戸初期の1650年、鳥取藩の初代藩主池田光仲が善政を誓い、曽祖父の徳川家康を祭る「鳥取東照宮」(鳥取市上町)を建立した。その後の祭礼で、中国で太平の象徴として伝わる霊獣「麒麟」の頭を模した獅子舞が披露された。これが麒麟獅子舞の始まりとされる。そして、鳥取県東部の各地に伝承された。

 「もともとは家元制度のように限られた身分や地域にのみ伝えられていた」と、川夏さん。当時の幕府は「諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)」という法令で全国の神社の神職や祭礼を統制。麒麟獅子舞もその対象として伝承はごく一部に限られた。

 そんな中、凶作や飢えに苦しむ人々が麒麟獅子に救いを求め、伝聞や盗み見など見よう見まねで再現し、各地に広まった。まねたことが分からないよう、少しずつアレンジを加えた。「舞い方や獅子舞の数、楽器が地域で異なるのはそのためではないか」と川夏さんは推測する。

 麒麟獅子舞が但馬に伝わった正確な時期は分からないが、文献によれば江戸後期から明治初期にかけてとされる。ちなみに但馬で最も遅く伝わったのは香美町香住区鎧。余部鉄橋の完成を祝うため、1911年に鳥取県岩美町の保存会から伝承された。

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 脈々と受け継がれてきた但馬の麒麟獅子舞。近年は高校の部活動に取り入れられるなど文化振興に向けた動きが活発化している。

 新温泉町の浜坂高校では昨年春に「麒麟獅子舞部」が発足。1994年の「但馬の祭典」を機に誕生した「麒麟獅子舞サークル」を、部活動に格上げした。但馬で他に部活動の例はなく、鳥取県でも智頭農林高校1校しかないという。

 部員数は現在23人。基本的に経験豊富な高学年が低学年に教え、地元保存会もノウハウを伝えている。また、行政などが主催するワークショップにも積極的に参加。7月22日には生徒たちが地元小学生に麒麟獅子舞の動きや歴史を教える活動に挑戦した。

 顧問の田中英志教諭(43)は「部活動という正式な活動になったことで、生徒たちのモチベーションも上がっている。さらに活動の幅を広げていきたい」と話している。

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