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海軍飛行予科練習生時代を振り返る磯野辰治さん=高砂市今市(撮影・辰巳直之)
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海軍飛行予科練習生時代を振り返る磯野辰治さん=高砂市今市(撮影・辰巳直之)
初めて戦闘機に乗り込む磯野さん=1943年8月、鹿児島県(本人提供)
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初めて戦闘機に乗り込む磯野さん=1943年8月、鹿児島県(本人提供)
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 ■「母に黙って書類出した」

 「尾上村(現加古川市尾上町)の加古川飛行場から飛行機が飛んで、ぶんぶん宙返りするやろ。そんなん見てたら乗りとうなってよ。あんなに大空を自由に飛べたらなって、ずっと思いよったんや」

 高砂市今市の磯野辰治さん(89)は1943年、15歳で海軍飛行予科練習生(通称・予科練)に入隊した。小さい頃から募らせてきた空への憧れが、志願の理由だった。

 「アメリカとの戦争も、まだ日本が勝っている時や。特攻なんてなかったしな。飛行機乗りになりたいばっかりで、死ぬかもしれんなんて考えてなかったわ」

 そのおよそ1年後、磯野さんは、飛行機などによる特攻兵器の搭乗に志願する。

    ◆

 生まれも育ちも伊保村今市(現高砂市今市)だった。

 「子どもの頃はごんた(やんちゃ)で、畑の果物盗んだりしたな。母親がよう謝りに行きよった。満州事変や支那事変(日中戦争)の頃やから、友だちが寄れば兵隊さんのまねばっかり。歩兵や騎兵とかに分かれて、色の違うリボンを付けて捕まえっこするんや。砲兵は騎兵に勝つとかルールが決まってた」

 8人きょうだいの末っ子で、父親は早くに病死していた。兄や姉は戦争や結婚で家を出て、自宅には母親と2人だけ。転機は尋常高等小学校の高等2年だった42年に訪れる。

 「予科練の募集があって、これなら飛行機乗りになれると思った。ただ志願しても反対されると思って、母親に黙って判を押して書類を出したんや。母親は親戚にえらい怒られとった。『家に男が1人しかおれへんのに、なんでそんなところにやった』てな」

 難関の試験を突破したのは、旧印南郡からは3人だけ。

 「決まった時は、飛行機で空を飛べると思うとうれしくてな。母親は悲しがってたけど、入隊することにはなんも言わんかった」

 鹿児島での厳しい訓練も1年がたったころ、予科練習生は決断を迫られる。「特攻隊に志願する人はマルを書け」。上官の問いに、全員がマルを書いた。

 「志願して予科練に来てるのに、ペケを書くもんがおるかいな。特攻要員に選ばれた時は、ある意味ほっとしたな。死ぬやそんなん思ってない。予科練を卒業して、ようやく次に行けると思ってた」

 訓練のため、長野県の野辺山に移ったが、間もなく終戦。特攻で出撃する機会はなかった。

 「生きるや死ぬやなんて、考えることなかったな。ただ、いま思えば、あんなえらい目に遭って、自分らには青春なんかなかった。暗黒時代ばっかやった」

    ◆  ◆

 太平洋戦争末期、劣勢に立たされた日本軍が採用したのは、「一撃必死」の特攻兵器だった。海軍では予科練の中から特攻志願者を募り、少年たちが空に抱いた憧れを「特攻精神」にすり替えた。当時は存在が秘密とされた基地で、特攻要員の訓練を受けた磯野さん。死と間近の環境に自ら飛び込んでいった10代の記憶をたどる。(小尾絵生)

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