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山片蟠桃と伊能忠敬のつながりについて調査した(右から)亀野忠重さん、高塚洋さん、清水敏男さん=加古川市役所
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山片蟠桃と伊能忠敬のつながりについて調査した(右から)亀野忠重さん、高塚洋さん、清水敏男さん=加古川市役所

 ともに江戸時代後期に活躍した、兵庫県高砂市出身の町人学者・山片蟠桃(1748~1821年)と、測量家・伊能忠敬(1745~1818年)の出会いはあったのか。そんなテーマで同市の歴史愛好家グループが調査し、冊子にまとめた。各地に残る数々の史料を改めて確認したり、関係者の子孫を訪ねたりして、導き出した結論とは-。(切貫滋巨)

 冊子「郷土の星 天文学者としての山片蟠桃」をまとめたのは、いずれも同市在住の高塚洋さん(75)、亀野忠重さん(71)、清水敏男さん(72)。3人は、全国を歩いて測量し、日本地図を作った伊能忠敬を、10年以上研究するグループのメンバーでもある。

 3人は昨年度、高砂市立図書館で開かれた市民向けの「市史ゼミ」に参加。以前から関心を持っていた、蟠桃と忠敬に交流があったという説の検証を研究テーマに決めた。両者の出会いは、映画「伊能忠敬-子午線の夢」(2001年)などで描かれているが、史料による裏付けはないとされる。

 ほぼ同じ時期に生まれ、死去したのも同時期。天文暦学を学んだという共通点もある。高塚さんらが着目したのは、蟠桃が通っていた大阪の私塾「先事館」。蟠桃と同じ門下生であった高橋至時は、後に天文学者として江戸に行き、忠敬に測量に必要な天文学を教えている。つまり蟠桃は、忠敬にとって師匠の兄弟弟子だったという。

 研究では、史料で確認できる両者の動きを年表にし、出会う可能性があった時期を調べた。忠敬が書いた「測量日記」によると、1805、08年に測量で大阪を訪れ、先事館の関係者らと交流したことが分かっている。高塚さんは「蟠桃もその一人として接触していた可能性はある」とする。ただ日記には蟠桃の名前は登場しない。

 一方、蟠桃の主家である山片家の蔵書からは、忠敬の測量によって作成された地図「伊能小図」の写本が見つかっている。入手した背景ははっきりしないが、「当時、地図は軍事機密とされるほどのもの。何らかのつながりがあった、と強く感じさせる」と高塚さん。

 各地の図書館や研究グループと連絡を取り、専門家らの意見も聞いたが、両者の関係について確証はつかめなかった。高塚さんらは「状況証拠とも言える間接的なつながりはいくつも確認できたが、両者の出会いを証明する記録は見付けられなかった」と悔しがりつつ、冊子については「出身地の高砂で、蟠桃の存在をもっと知ってもらうきっかけになれば」と力を込める。

 冊子は地元企業の協賛を受けて千部発行。調査の過程に加え、高砂や大阪の蟠桃ゆかりの地を写真と地図付きで紹介している。高砂、加古川市の図書館や小中学校に提供するほか、高砂市観光交流ビューローや、加古川観光協会で無料配布している。

【山片蟠桃】現在の高砂市神爪生まれ。13歳から奉公した大阪の両替商で商才を発揮し、仙台藩の蔵元として藩財政の立て直しに貢献した。天文学や儒学を学び、晩年には合理主義的な立場から著した12巻の実学啓蒙(けいもう)書「夢の代(しろ)」を完成させた。

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