東播

  • 印刷
円形の句碑の上部には機銃掃射の傷跡が残る=加古川市野口町水足
拡大
円形の句碑の上部には機銃掃射の傷跡が残る=加古川市野口町水足
句碑の南数百メートルに航空通信学校があり、戦後はハリマ化成加古川製造所に。今も正門に当時の門柱が使われている=加古川市野口町水足
拡大
句碑の南数百メートルに航空通信学校があり、戦後はハリマ化成加古川製造所に。今も正門に当時の門柱が使われている=加古川市野口町水足
神戸新聞NEXT
拡大
神戸新聞NEXT

 兵庫県加古川市野口町水足の住宅街を抜ける細い県道沿い。鉄柵で囲われた敷地に句碑があった。円い御影石の上部にある大きな傷が目に付いた。終戦直前の1945(昭和20)年7月30日、米軍の戦闘機が放った銃弾の跡だと地域に伝わる。

 戦後生まれの水足町内会の橘一郎会長(72)は「近くにあった旧陸軍の施設を狙った攻撃で、住宅地にも流れ弾が飛んできたようだ」と話す。施設は航空通信学校加古川教育隊だった。

 句碑に刻まれているのは、明治、大正時代に道路整備などに尽力した旧加古郡野口村の初代村長、米谷十三郎氏の辞世の句。「凩しや樹々さまざまのいろも見て 二世雲外」。名士の功績を示す句碑は、期せずして戦争の記憶を伝える役割を担った。

 神戸や姫路とは違い、現加古川市域は大規模な空襲はなかったと聞いていたが、加古川市史には、45年に入ってから空襲警報が発令される頻度が増し、徐々に空襲の恐怖が増す様子が記されている。

 7月は記録が残るだけで15回の警報があり、23、24日にはついに加古川駅が攻撃を受けたとある。24日は駅近くに爆弾が投下された上、駅に避難した急行列車も銃撃され、数人の犠牲者が出た。

 水足地域に空襲があった日、日本毛織(ニッケ)加古川工場などに爆弾十数発が投下され、数人が死傷。ほかにも別府町や尾上村など、広い範囲で機銃掃射があったと記録される。終戦直前、駅や軍事施設を狙った攻撃によって、他の地域と同様に戦場となっていた様子がうかがえる。

 そんな数少ない“歴史の証人”の一つである句碑だが、最近になって撤去の話が持ち上がっている。橘会長は「戦時中の体験を語れる人は少なくなり、碑は地域に残すべき貴重なもの」と話し、市に移設・保存の協力を求めている。(切貫滋巨)

東播の最新
もっと見る

天気(8月23日)

  • 30℃
  • 26℃
  • 70%

  • 32℃
  • 26℃
  • 50%

  • 30℃
  • 26℃
  • 80%

  • 30℃
  • 25℃
  • 70%

お知らせ