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シベリア抑留の経験をつづった「唯生論」を手にする田中唯介さん=高砂市
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シベリア抑留の経験をつづった「唯生論」を手にする田中唯介さん=高砂市

 終戦後、旧ソ連のシベリアに抑留された兵庫県高砂市の音楽家田中唯介さん(93)が、極寒の地で過ごした4年間を記した「唯生論」を出版した。過酷な重労働の苦しみと同時に、過去の過ちを許し合い、平和を守り抜く大切さをつづっている。

 田中さんは同県播磨町の農家に育ち、音楽好きな少年だった。1945(昭和20)年1月に入隊。翌2月、満州(中国東北部)の野戦高射砲部隊に配属となった。

 終戦後は捕虜としてソ連軍にとらえられ、仲間と共に列車でシベリアの収容所に送られた。「広い水面があり、日本海だ、帰れると思ったらバイカル湖だった。ぼうぜんとしたよ。隊列から離れ、目の前で射殺された兵隊もいた」

 氷点下40度の寒さの中、穴の中で、れんがの材料になる粘土を掘り出す重労働に従事した。食事はわずかなパンやアワのスープ。カエルや虫も食べた。体重は55キロから35キロに落ちたという。仲間は病気や飢えで次々に倒れ、田中さんも凍傷で両手の人さし指を切断した。

 そんな中、音楽に喜びを感じ、不自由な指で収容所のドイツ人捕虜からアコーディオンを習った。生き抜くためにソ連の民謡を演奏したり歌ったりし、ソ連側に「早く日本に帰りたい」と訴えた。

 帰国したのは49(昭和24)年11月。舞鶴港に引き揚げ、故郷に戻った。ガラス片で削った木製のスプーンやしゃもじ、ソ連の歌集を持ち帰った。

 戦後はアコーディオンの演奏家や作曲家として活躍し、現在も音楽教室を開く。一方で舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)の開館に尽力。憎しみ合ったままでは問題は解決しないと、日ロ両国の友好にも関わった。現在は全国で講演し、抑留経験を歌ったオリジナル曲を演奏し戦争の悲惨さを伝えている。

 「唯生論」のタイトルには、命を大切にして自分の生き方を貫き、社会に尽くそうという思いを込める。「恩しゅうを乗り越え、戦争で亡くなった人の分まで命をつないでほしい」

 A5判、120ページ。1080円。出版社のペンコムTEL078・914・0391

(本田純一)

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