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大阪陸軍造兵廠の工場跡。現在は神戸製鋼所高砂製作所になっている=高砂市荒井町新浜2
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大阪陸軍造兵廠の工場跡。現在は神戸製鋼所高砂製作所になっている=高砂市荒井町新浜2
マンホールの中央は砲身をイメージした図柄。右手奥が地下道入り口=高砂市荒井町扇町
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マンホールの中央は砲身をイメージした図柄。右手奥が地下道入り口=高砂市荒井町扇町
神戸新聞NEXT
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 兵庫県高砂市の臨海部には日本を代表する企業が並ぶ。その一つ、神戸製鋼所高砂製作所には鋼やチタン加工、機械製作の工程ごとに工場が林立する。高さ約30メートル、奥行き約500メートルの長大な鋳鍛工場からは、たたき付けるような金属音が響く。

 広さを生かして製造されているのは大型船舶のエンジンの一部、クランクシャフト。「世界シェアはナンバーワンです」。同製作所の浅田隆一郎総務室長が案内してくれた。

 技術を誇る工場建屋だが、段差が印象的な屋根や壁ににじむ鉄さびなどは古さを感じる。建設は1941(昭和16)年。大阪城そばで砲身や砲弾を製造していた大阪陸軍造兵廠の規模を広げるために播磨製造所として建てられた。広大な敷地にはほかに工場3棟が並んだ。海上輸送が可能で、従業員が通勤しやすいよう鉄道が近接する。

 「好条件がそろっていた」。高砂南高校の社会科教諭時代に播磨製造所について調べ、2007年に冊子「高砂の研究」にまとめた元明石北高校校長の水田勝丈さん(72)=加古川市=が語る。

 工場稼働と同時期、日本は太平洋戦争に突入。43年には米の大型爆撃機B29に対抗するため、高度1万メートルまで届く高射砲製造が課せられたが、完成は45年4月。戦況を劇的に好転させるまでは至らなかった。水田さんは思いをはせる。「日本が不利になる中でみんな必死だったんでしょう」

 播磨製造所は戦後、国鉄高砂工場となり、今は神鋼だけでなくサントリーや三菱重工の工場になった。日本の産業を支える拠点へと様変わりしたが、当時のままの場所もある。山陽電鉄荒井駅前の地下道。朝夕、工場で働く人たちは駅から地下道をくぐって行き来する。ものづくりにかける思いは引き継がれているのだろう。(若林幹夫)

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