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三木飛行場の境界を示す石杭=稲美町草谷
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三木飛行場の境界を示す石杭=稲美町草谷
戦時中の三木飛行場に並ぶ将校ら(三木市の女性提供)
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戦時中の三木飛行場に並ぶ将校ら(三木市の女性提供)
神戸新聞NEXT
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 青々とした田園が広がる兵庫県稲美町草谷。道路沿いに林があり、雑草を分け入ると高さ約50センチの石杭があった。荒れた石の表面には「陸軍」「100」の文字がはっきり読める。

 石杭にどんな意味があるのだろう。稲美町立郷土資料館学芸員の藤戸翼さん(46)に尋ねた。「旧陸軍三木飛行場の境界。杭は129基あり、数字は通し番号です」。藤戸さんは町内にある飛行場の痕跡を調べている。一帯には今も多くの石杭があり、格納庫などの跡地にはコンクリートの基礎部分もあるそうだ。

 三木飛行場は1944(昭和19)年、稲美町と三木、加古川市にまたがって造られた。長さ2千メートルの滑走路を備え、「整備作業には町民もかり出され、学生も測量を担いました」と藤戸さん。飛行場が標的になり、のどかな農村は米軍機の機銃掃射を受けた。

 飛行場には教育部隊などがいたという。広大な敷地で、若いパイロットが訓練に明け暮れたのだろう。「若者たちは45年4~6月に鹿児島県の知覧に赴き、特攻隊員として出撃。多くが戦死しました」。藤戸さんが声を落とした。

 今月、市民団体「三木飛行場を記憶する会」が三木市内で開いた展示会に足を運んだ。戦闘機を背景に撮られた青年将校たちの写真が目に留まり、そのうち1人の遺族と会った。

 三木市の女性(75)の夫は三木飛行場で訓練し、45年5月、特攻隊第213振武隊として出撃した。だが故障で不時着し、終戦。2001年に79歳で亡くなった。戦後、夫は「もうけものの命や」と話していたという。

 「戦争の中、一生懸命に生きた人々の姿を忘れないでほしい」。女性の言葉をかみしめ、写真の中の青年将校一人一人の顔を見詰めた。(本田純一)

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