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稲岡孝治郎氏が残した大正時代の日記
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稲岡孝治郎氏が残した大正時代の日記
知人の死に「悲惨の極」などの記述がみられる
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知人の死に「悲惨の極」などの記述がみられる

 約100年前に世界中で流行したスペイン風邪が兵庫県の東播地域でも広がっていた様子を、2012年に倒産したタオルメーカー「稲岡工業」(同県加古川市志方町横大路)の経営者が日記に残していた。自身の感染や知人の死をつづり、第2波についても触れていた。新型コロナウイルスの再流行が懸念される中、同社の文書保存に取り組む住民グループは「当時の状況が分かる貴重な資料だ」とする。(若林幹夫)

 スペイン風邪の記述があったのは、稲岡工業の前身「稲岡商店」を兄から引き継いだ稲岡孝治郎氏の日記。日々の商談相手や業務内容を毎日記録していた。孫の毎一(まいいち)氏が活字に書き起こして2000年に製本し、同社関係者に配られた。

 スペイン風邪の流行が始まったのは1918(大正7)年秋。同年11月1日に、「西班牙(スペイン)風邪の流行甚だしく店内罹病(りびょう)者続出す」とあり、社内で集団感染した状況がうかがえる。同5日には、自身の体調について「午後は発熱を感ずる事著しかったので臥床(がしょう) 夜八度以上に及ぶ。世界感冒に犯されたのである」と記述されていた。

 さらに3日後の同8日、妻も感染して寝込んだ様子がつづられた。その後も自身の「全日床中」の記述が続き、同16日には食欲が戻ってきたが、知人の長女と妻が死亡したとして「実に悲惨の極(きわみ)」と表現。同21日に業務に戻り、体調が回復するまでに半月ほどかかったとみられる。

 20(大正9)年には「流感」との表現で再び記述された。第2波とみられ、同年2月にはめいの「サダ子」に39度以上の発熱があった。旧暦の元日に当たる同20日、「例年ならば余も必ず旅行に出ずる書き入れ日なるも、本日は流感の恐怖とサダ子病気等のため在宅す」とし、外出を自粛していた。

 日記の記述を確認したのは、郷土史家らでつくる住民グループ「『稲岡工業株式会社文書』保存会」。事務局の女性(68)=同市=は「海外から入ってきた今のコロナと同様、スペイン風邪も欧州、米国経由で日本国内に広がった。稲岡商店は当時から海外にも工場があり、国際的な人の交流も多かったのではないか」と話す。

【稲岡工業】木綿問屋を母体に1891(明治24)年、タオルを生産する稲岡商店として創業。中国などにも輸出し、イカリ商標として広く知られたが、リーマンショックや安価な輸入品の影響で2012年に破産手続きを取った。帳簿や日誌など創業時期からの資料が大量に残され、「稲岡工業株式会社文書」保存会が整理、活用を進めている。

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