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絵本「そのときわたしは10才でした」の一場面=尾上公民館
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絵本「そのときわたしは10才でした」の一場面=尾上公民館
男児の1945年7月24日の日記。布団に潜り込んで米軍戦闘機が去るのを待ったことが書かれている=尾上公民館
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男児の1945年7月24日の日記。布団に潜り込んで米軍戦闘機が去るのを待ったことが書かれている=尾上公民館

 「土山爆弾だ。僕たちも姉ちゃんも家中でふとんかぶっていた」-。太平洋戦争末期、兵庫県播磨町(当時は阿閇(あえ)村)の男子児童が書いた日記の一部が、同県加古川市尾上町池田の尾上公民館で開催中の展示会「加古川飛行場展 終戦75年播磨の空襲とこどもたちの戦争体験」で公開されている。地元の空襲で受けた死の恐怖を、子どもらしい素直な文章で表現している。15日まで。(門田晋一)

 日記は、当時の国民学校に通っていた男児が1945(昭和20)年5月28日~46年3月31日に毎日書いている。紙を節約するため、けい線で区切った1行の中に小さい文字で2行ずつ収めていた。

 元小学校教員で同公民館長の木村浩一さん(62)が約30年前、担当したクラスで自宅に残る戦争記録を探す宿題を出した際、児童の一人が、播磨町在住の親戚が書いた日記を提出。木村さんはコピーを長年保管しており、提出した教え子に許可を得た上で、市民団体「加古川飛行場を記録する会」が主催する今回の展示会に出展した。

 東播磨地域で空襲があった45年7月24、28、30日の3日分を展示。24日は二見(現明石市)や土山方面を米軍戦闘機が攻撃し、近くの寺には死傷者が集められていたという。28日は「空襲解除の間に昼ごしらえしよったらまた空襲。今日は空襲出ること四回。最後のん、ものすごかった」。30日は「一時爆発するから戸ガラス、障子まで外した。晩目標にされるとみんな心配」と募る不安を記す。

 同会会長の上谷昭夫さん(81)は「戦時中の子どもが一生懸命生きた事実を知って、平和の大切さを感じてほしい」と話す。

 展示会では、かつて加古川市沿岸部にあった旧陸軍加古川飛行場を紹介するパネルに加え、高砂市の画家衛藤順子(よりこ)さん(84)が鹿児島で戦闘機に銃撃された記憶をまとめた絵本「そのとき私は10才でした」や、播磨町の永井宏樹さん(40)が鉛筆で描いた戦闘機の絵も並ぶ。今月15日午後1時半~3時には、「そのとき-」の朗読会や東播磨地域の空襲に関する講演も。同公民館TEL079・423・2900

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