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 老いるということ。死にゆくということ。その過程に向き合ったとき、人はどんな思いにとらわれるのか。どれほど自由でいられるか。熟練のノーベル賞作家、J・M・クッツェーの「モラルの話」は、そんな真摯で切実な問いを内包する小説集である。

 収録された7編のうち5編は、年老いた女性作家エリザベス・コステロとその家族の物語。常識人である娘のヘレンと息子のジョンは、母の老後を引き受けようとあれこれと言葉をかけるが、母はそれを望んでいない。母と娘、母と息子の会話はどこまでもちぐはぐで、すれ違う。

「ひとりの女が歳をとると」で、ヘレンは母に近くに住んでほしいと申し出た上で、こう言い添える。「ひとりで死ぬなんて正しくない」と。だが母は断る。「良い死に方をすることにわたしは全力を注ぎたい」と言って。

「嘘」でのジョンはもっと手厳しい。母に施設に入ることを勧めて、こう告げるのだ。「人生においては、われわれが理想とするものと、われわれにとって良いものとのあいだで、妥協しなければならないときがやってくるんだ。自立と安全を秤にかけなければならないときが」。しかしここでも母は、息子の提案を拒否する。

 娘と息子とのエゴがじわじわとにじんでくる。そして、頑迷ゆえに老いを受け入れようとしないようにみえるコステロの抵抗の背後から、深い孤独が浮き上がってくる。

 本書を貫くもう一つのモチーフは、動物への関心と共感であり、人間至上主義への違和感だ。人間と動物にどれほどの差があるのか、という本音があちこちから聞こえてくる。

「ガラス張りの食肉処理場」は特に鮮烈だ。コステロは息子のジョンに、都市の真ん中でデモンストレーション用の食肉処理場をつくったらどうだろうかと問いかける。「なかで起きてることをみんなが目にして、臭いを嗅いで、音を聞いたら、人は暮らし方を変えるかもしれない」と。そして動物の感覚世界について訴え続けるのだ。ヤギやウサギは思考しないのか。痛みは感じないのかと。

 最後にコステロは、テレビで見た鶏の孵化工場についてジョンに説明する。ひよこがベルトコンベアに乗せられて運ばれていく。作業員が性別を判定し、メスならば卵を産む雌鶏としての一生を送るが、雄ならペーストされて家畜用飼料か肥料になる。ベルトコンベアに乗っているひよこが「そうか、これが人生か!」と思う-。そんなイメージが頭から離れないというのだ。

 それでもコステロは信念を持っている。そんな小さなひよこにも、存在する理由があるのだと。

 情緒や感傷を排した筆致と、透徹した視線で綴られた物語を読みながら、背筋がどんどん伸びていく。哲学的な思考と物語の融合の先に、人間のモラルと生の意味がほの見える。

(人文書院 2300円+税)=田村文

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