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 ジビエ料理を出すレストランで、店の回転を任されている料理人・潮田が物語の語り手である。彼自身、山で鳥を狩ることはあるけれど、雨の夜に山の中で道に迷ってしまう。そんな彼を助けたのが、ぶっきらぼうすぎる猟師の大高だ。桁外れの技術と知識、狩ってきた獣を瞬く間に「肉」にする腕前、「命を狩る」ということへの確かな持論。潮田は、大高が狩ってきた「命」を、自らの店で料ることができないかと画策する。けれど大高は、頑なにそれを拒むのだ。

 やがて距離を縮めていく大高と潮田。ふたりが巡るのは、「生きる」ということそのものを考える旅路である。潮田は、料理学校時代に自分より格下だったはずの同窓生が、自分の店を持ち成功していることに忸怩たる思いを抱く。そして、そんな自分のことがとても嫌いである。くすぶっている(と本人は思っている)自分の人生。自分はいったい、どこでどう間違えたのか。悶々とする日々である。

 大高は大高で、自分が正しいと思ったもののみを選び取って生きてきた。あらゆるしがらみから自由な人生を気取りながら、けれど「自分が正しいと思ったもの」が、別の誰かにとってはまったく正しくなかったりする、そんなジレンマにからめ取られて生きている。その「別の誰か」を悪者にして攻撃することはたやすい。けれど大高は、それをしないのである。

 物語の中で、大高が獲物を仕留め、それを食肉にする過程が描かれる。けれど決してグロテスクに陥ることなく、その様子は実に淡々と描写される。ショッキングな画をイメージさせることで、読者の胸に痛烈な何かを残すこともできたはずだ。けれど著者は、そうすることを選ばない。優しく、柔らかく、それらの光景が描写されていく。

 やがて、大高と反する持論を持つ人物からの、大高への攻撃が始まる。攻撃の方法は、暴力である。住まいを焼かれ、車を壊され、大高は周囲に危険を及ぼさないために消息を絶つ。この場合、どんな正論(だと本人が思っているもの)に裏付けられていたとしても、暴力に走ることの愚かさは考え抜かれるべきだ。けれどこの件はわりとあっけなく、ひとまずの収束をみせるのである。

 とても読みやすい一冊である。読者の心を過度に乱すことなく、物語は終わりを告げる。けれどそのまま「いい本を読んだなあ!」と本棚に片付けられてしまうのはとてもとても惜しい。せっかく「喰らう」「生きる」を描くのであれば、毎日「喰らう」「生きる」を機械的に繰り返している読者の盲点を、血の涙が流れるほどにえぐってほしいのだ。読む前と、読み終えた後とでは、見える景色がまるで違うくらいに。

(KADOKAWA 1500円+税)=小川志津子

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