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 誰かをいじめたりいじめられたりしていたわけではないし、不登校になったこともないし、孤立していたわけでもないけれど、学校は本当にしんどかった。特に小学生の高学年の頃が最悪だった。運動会のための行進練習は意味不明だし、時間割通りに授業が流れていくのも、教室にじっと座って先生の話を聞くのも苦痛だった。いつも空想をして時間をやり過ごした。もう一度あそこに戻りたいかと聞かれたら「絶対に嫌」と答えるだろう。

 タイムスリップしてあの頃の自分に会えるなら「あなたは『今が世界(すべて)』だと思っているかもしれないけど、それは違う。あなたには未来があるし、状況は変わる。いずれ自由になる」と言ってやりたい。

 いや、よく考えれば、小学生の私は既にそのことを知っていた。ただ「今」から逃れられなかっただけなのだ。

 だからこそ、本書に描かれる6年3組の生徒たちはみな、かつての自分だと思った。視点人物は次々に変わっていくが、どの子も私だ。居場所がないと不安で、人目を気にしている。他人に影響されて、知らず知らずのうちに不本意な行動を取っている。親や教師は何もわかっていないし、わかるはずがないと思っている。そして「教室」という場所に、「今」という時間に、閉じ込められている。

 最初の視点人物である尾辻文也は気が弱いお調子者。クラスの中心的な位置にいる子どもたちに煽られて、家庭科の時間に先生が作るパンケーキに洗剤を混入してしまう。家庭科の先生がそれを口に入れて大騒ぎになる。

 6年3組の担任、幾田先生が怒り、追及するが、みなふざけて反省もしなければ、本当のことも言わない。幾田先生が言う。「皆さんは、どうせ、たいした大人にはなれない」

 視点人物はその後、優等生の川島杏美、時々パニックを起こす武市陽太、そして女王さま的存在の前田香奈枝の親友、見村めぐ美へと移っていく。それぞれの家庭の経済状況や親きょうだいとの関係、友だちに対する複雑な思いに触れるたび、これまでわかったつもりになっていた教室の風景が、少しずつ変容してゆく。

 作者の朝比奈あすかは、これまでも「自画像」や「人間タワー」など、学校を舞台にした物語を紡いできた。本書を含め、これらの作品に通底するのは、子どもたちに対する視線の優しさだ。どの子にも事情があるし、繊細な心がある。変わる可能性があり、幸せになる権利を持っている。朝比奈は勧善懲悪の対極に立ち、物語を構築していく。誰も切り捨てない。

 武市陽太の章で、特にそのことが実感される。昼も夜も働くシングルマザーの母親をいたわる気持ちを持つ陽太は、本や折り紙の世界に没頭することで、孤独を紛らわせ、自らの心を解放させる。

 この教室の一人が大人になって過去を回想する場面がエピローグに置かれ、「未来」が提示される。彼女も「たいした大人にはなれない」と言われた一人だけれど、それでも懸命に「今」を生きている。

(KADOKAWA 1500円+税)=田村文

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