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 日常のあれやこれやから離れたくなったときにおすすめの短編集だ。それぞれの物語で中心になるキャラクターは、人間だけではない。犬だったり、レゲエの好きなスッポンだったり、体の中から土をはき出す男だったり、何だか不思議だ。不思議だけれどみんな優しく、切ない世界。著者の柔らかな文体に、ゆったりとした気持ちになる。

 「自然と、きこえてくる音」の主人公「わたし」は、ある事情で入院した救急病院を出て、録音技師だった祖父を訪ねる。一緒に赤いスポーツカーでドライブをする間も、手作りのサンドイッチを食べるときも、祖父は「わたし」に事情を尋ねることはない。「俺は、自然と、きこえてくるもんだけでじゅうぶんや」とひょうひょうと言う。耳の感度が優れている祖父には、孫のつらさも悔しさも本当は分かっているはず。そのことが、そっけない言葉だけで痛いほど伝わってくる。

 通学途中の子どもたちにいつも「お、げんきか!」と野太い声を掛ける男がいる。もう何年もの間、近所の人たちから「おとうさん」と呼ばれている。ある時は自動販売機にお説教をしている。またある時は街路樹の葉をハンカチで磨いている。犬や鳩、テントウムシなどの生き物からは慕われている。1人の少年の目から描く「おとうさん」は、やはり不思議な世界の住人だ。物語はそれだけではない。一つの悲劇から「おとうさん」の人生が浮かび上がり、永遠の存在へと昇華するまでが静かに描かれる(「おとうさん」)。

 達筆な園子は子どものころから、紙に書いた字と同じ字が周りの壁や空に模様として浮かび上がる。これまた不思議な設定だ。(「園子」)。その現象を除けば、園子はごく平凡な生き方をしているのだが、一編の最後に置かれた出来事は鮮やかで忘れがたい。

 この短編集に出てくるようなことに現実に出合うチャンスはないと思うが、物語を閉じてからも、キャラクターたちがどこかで幸せでいてほしいと祈りたくなった。過剰な言葉に囲まれる日々から少し引きはがされ、面白かったなあという気持ちに満たされている。

(リトルモア 1500円+税)=杉本新

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