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 人は、すでに救われている。自分を救ってくれる何かは、手を伸ばせば届くところに、実はある。けれど、打ちひしがれた者は、それを見つけることができない。打ちひしがれすぎて、顔を上げることすらできない。だから自分には、救いなんて二度と訪れないのだと、さらに肩を落として閉じこもっていくばかりだ。

 親たちからの虐待と蹂躙によって、頭のてっぺんから爪先まで傷つけられて育った主人公、貴瑚(きこ)。すべての人間関係を断ち切るようにして、田舎町の、古い一軒家に移り住む。田舎町ならではの、ご近所さんたちの無遠慮な眼差し、噂話。そういったものに辟易としながら暮らす彼女が、ある日、ひとりの少年と出会う。その少年もまた、親から虐待を受けていることに、貴瑚は気づいてしまうのだった--。

 そこから、貴瑚の過去も少しずつ紐解かれる。母親のこと。母親と再婚した義父のこと。彼女を本当に案じて、包んでくれようとしていた人物の真実。彼女を「愛情」ではなく「所有」関係で支配しようとした男。いちいち、すべてが、不幸臭むんむんである。しかし、そんな主人公にも、満たされた幸福な時間が、ちょこちょこと、なくはないのだ。自分はあなたの親友なのだと抱きしめてくれる女友達との乾杯。自分は愛されているのだと錯覚できた夜。けれどそのいちいちが不幸に転じ、主人公はすぐに「自分のせいだ」と、携帯の登録を全部消して身を隠してしまう。

 誰とも関わらず、ひとりで居さえすれば、世界は平和なのだ。誰かと関わってしまうから、いさかいが起きるのだ。--物事や、目の前の景色を、そんなふうに見渡してしまったら、そりゃあ世界は不幸の集積場である。もう自分は誰かを求める資格はない、そんなことせずにひとり静かに生きていくのだ。そんな主人公の決心が、自分の過去や少年の未来とがっぷり四つに向き合ったことで、粉砕されていくまでの変遷が描かれる。

 クジラたちは、互いが発する鳴き声だけで、その存在や距離を知ることができるという。けれど、どのクジラにも届かない周波数の鳴き声を持つクジラもいるという。その、「誰にも聞こえない鳴き声」で泣き叫ぶすべての者に、本作は語りかける。必ず、その鳴き声は、同類の仲間たちに届くのだと。それまで、決して、絶望するべからずと。

(中央公論新社 1600円+税)=小川志津子

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