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 国境というものの存在が不気味に色濃く感じられる。人種差別や排外主義も、よりあらわになっている。コロナ禍は、グローバル化の負の側面を私たちに突きつけた。

 そんな今だからこそ、多和田葉子の小説を読むことの意義と愉楽をいつも以上に味わった。異文化の中で言葉が解体され、捉え直されてゆく。分断を超えて、人々がゆるやかにつながっていく。そんな希望が見えてくる。物語全体を包むユーモアがその希望にさらに力を与えている。

 新刊『星に仄めかされて』は、国籍や人種、育ってきた環境がまったく異なる若者が集まり、自由に移動し続ける物語『地球にちりばめられて』(2018年)の続編だ。Hirukoは日本を思わせる島国の出身だが、留学中にその国は消滅してしまった。彼女はスカンジナビアの人ならだいたい意味が理解できるという手作り言語「パンスカ」を生みだし、それを操りながら、自分と同じ母語を話す人を探す旅に出た。同行するのはデンマークの言語学者の卵、クヌートだ。

 個性豊かな面々がこの旅に加わる。アカッシュはドイツに留学中のインド人男性だが、女性として生きるため赤いサリーを身にまとう。日本人のふりをしていたエスキモーのナヌーク、ナヌークを救ったドイツ人女性のノラ、福井出身の日本人らしいSusanoo…。

 2作目の本書では、冒頭でさらに魅力的な人物が登場する。ムンンとヴィタという名の若い男女だ。2人はデンマーク・コペンハーゲンの病院で皿洗いの仕事をしている障碍者なのだが、ムンンの視点から見える世界が新鮮だ。例えば雨をこんなふうに描写する。

 「雨は立派だな。文句も言わずに、人間たちの足跡をぴちゃぴちゃ洗い流してくれる。汚れは細い茶色い帯になって、横に逸れて、見えなくなる。(略)そうやって道を洗って、洗って、洗い続けているうち雨は疲れてくる。息が切れて、ぴち、ゃ、ぴち、ゃ、と間隔があき始める。本当に疲れるね、人間たちの足跡を洗う仕事は」

 ムンンとヴィタが働く病院の医師、ベルマーはとびきり偏屈かつ滑稽な男で、だからこそ目が離せない。そのベルマーのもとに失語症らしい患者がやってくる。1作目にも登場したSusanooだ。Susanooを心配してHirukoやクヌート、ナヌーク、ノラ、アカッシュも集まってくる。

 そこで交わされる会話が実にスリリングだ。それぞれの生い立ちや文化、言葉の違いをぶつけ合う。過去をほじくり合い、傷つけ合うことで、分かり合っていく。消滅してしまった国の言語を求めるHirukoの思いも分かち合う。

 言葉には、個々の人間が持つ過去のにおいや味、同郷人の記憶がまとわりついている。私たちの感性も思考も、母語によって育まれ、意味や実質を与えられて、形作られてきたのだ。HirukoやSusanooの名前からも想像できるように、物語の背後には神話の世界がちらりと顔をのぞかせる。

 本書の終盤、Hirukoと仲間たちはHirukoの故郷を訪ねるための船旅に出ることになる。グローバル化も分断もふわりと乗り越えて、時間と空間と言葉の旅は続く。

(講談社 1800円+税)=田村文

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