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 今年5月24日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、新聞の顔であるフロントページ全面に新型コロナウイルス感染による死者の名前や年齢、職業などを掲載した。写真も図もなく、約1000人の名前などの文字で埋め尽くされたモノトーンのページは、「死者何十万人」とまとめられた数字とは別に、被害の厳しさを静かに、そして強く訴えていた。

 ニューヨーク・タイムズが創刊されたのは1851年。本書は2016年まで約170年の間に同紙が掲載した死亡記事の中から、日本でもよく知られた100人を抜粋している。ビスマルク、リンカーン、孫文、マルクス、エジソン、マーラー、ロダンら世界史に残る政治家や学者、科学者、芸術家たちの訃報を、いずれも「現代」のニュースとして報じてきた紙齢の長さがよく分かる。

 タイムマシンのように、記事の緊迫感や当時の読者が受けた衝撃を想像して追体験するのが本書の読みどころ。こんな書き出しもある。「何の前触れもなく、リヒャルト・ワーグナーが昨夜ヴェネツィアで急死したという電文が世界中を駆けめぐった」(1883年2月)。

 劇場で狙撃された米大統領リンカーンの死亡記事には「暗殺者の身柄は確保されていない」という記述があり、1865年4月15日の進行中のニュースだったことが読み取れる。息を引き取ったリンカーンの目は開いていたといい、「医師の一人が一セント硬貨をまぶたにのせた後、五〇セント銀貨に置き換えた」など細部まで書き込まれている。

 本書は日本語版として再構成されており、原書には約300人が取り上げられている。編者で、ニューヨーク・タイムズの死亡記事を長年担当しているウィリアム・マクドナルドによると、ゴッホ、セザンヌ、カフカ、チェーホフらは死去した時に記事が掲載されていない。今日のような高い評価が定まるには、死後の歳月が必要だったからだ。

 本書は読み物としてだけでなく、メディアが果たしてきた役割を考えさせる1冊でもある。取り上げられた人物の多くが白人の男性であることは、欧米の近現代において、権力が白人男性に集中していたことの裏返しでもある。

 同時代の社会情勢や人々の意識が報道に影響することは避けられない。しかし個々の記事を後世の人がどう評価するか、時代の証言として消えない強度を持つかという視点は重要だ。私自身は記事を書く立場にある一人としてそう考えるが、ここでは一人の読者として、本書からメディア史とその背景にある時代をじっくり読み解きたい。その視点で見れば、コロナ感染による死者の名前で埋め尽くされたニューヨーク・タイムズの紙面は、未来の読者の胸にも刻まれると思った。

(河出書房新社 4200円+税)=杉本新

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