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 滅びゆく国に生きている。愚かで、強欲で、場当たり主義的な人間の集合体である国家は、衰退し、滅亡する宿命から逃れることはできない-。それが、本書の基本認識である。

 であるならば、私たちは現在、この国の歴史のどのあたりにいるのか。いままさに起きていることは、のちの世から見たらどんなふうに見えるのか。そして、この国の歴史の頂点はどこにあったのか。

 磯崎憲一郎の『日本蒙昧前史』は、戦後日本のさまざまな出来事をその渦中にある人々の目を通して語り、つないでゆく。中心的に語られるのは、1970年~80年代に耳目を集めた事件だ。

 冒頭は、食品会社が標的になった「グリコ・森永事件」(84~85年)である。ほかにも、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地での三島由紀夫の割腹自殺(70年)や、日航ジャンボ機墜落事故(85年)などにも触れてゆく。中でも筆の多くを割いているのは、山下家の五つ子ちゃん誕生(76年)、大阪万博(70年)、そして敗戦後28年間もグアム島に潜伏し続けた残留日本兵の帰還(72年)である。作者の磯崎と同じ65年生まれである私は、これらの出来事について、多くはおぼろげながら、いくつかはくっきりとした記憶がある。

 例えば大阪万博が開かれたころ、埼玉県に住む5歳の子どもだった私は、両親に連れられてあの会場に足を踏み入れている。ほとんどのことは忘れているが、太陽の塔の巨大さと不気味さ、そしてざらざらとした肌の感触だけは脳裏に焼き付いている。

 その大阪万博については、用地買収のころからつづられる。立ち退きを拒否する住民たちと向き合う万博事業室長の目に映じる殺伐とした景色は、「バラ色の未来」の陰に隠された暴力性を象徴する。

 千葉県の自宅から父親と万博会場に向かった7歳の少年は非日常に興奮しながらも、矛盾を直感する。それは私たちの今日を予言しているようですらある。

 「しょせんは仮初めと割り切っているかのような、舞台装置めいた軽さ、嘘臭さが、この空間のそこかしこに漂っている…しかしむしろ、その嘘臭さこそが現実なのかもしれない、大人たちが完成させつつある世界、未来の世界なのかもしれない」

 悲哀をにじませるのは「目玉男」のエピソードである。

 彼は太陽の塔の「黄金の顔」の右目部分に侵入して何日も居すわり、万博の中止を要求した。なぜこのような突飛な行動にいたったのか。磯崎は想像力を駆使して、目玉男の生い立ちから、事件の決行・終結までの彼の内面を描きだす。

 万博には正史がある。国や大阪府による事実の記述こそがそれだ。しかし、磯崎はこれに、万博準備室長や7歳の少年、目玉男らの視点を対置することで、万博の描いた未来の欺瞞性を打つ。福井の敦賀原発の営業開始日は、万博開会式の日であり、その電力は万博会場に送られたが、私たちは何百年も続く災厄の種を抱え込んだ。リニアモーターカーも展示されたが、巨額の公的資金を費やし、今に至るまで実用化されない。

 本書の記述の大きな特徴は、ほとんどの登場人物の名前が明かされていないことだ。固有名詞を排除したのは、正史の拘束から自由になるためだろうか。

 そして、文章を切る句点「。」は極端に少なく、読点「、」で文章をつないでいく。出来事と出来事の切れ目は曖昧になり、輪郭はぼやかされていく。事象も、それを含み込む時代も、誰かの主観で切断されてはならず、連続し、関連し、全体性を持つことを示したかったのだろうか。

 28年間、グアムに隠れていた元日本兵(横井庄一)が帰還するエピソードに改めて衝撃を受けた。羽田空港での発言「恥ずかしながら帰って参りました」は当時流行語になったが、戦後75年になる「いま」から見れば、これもまた「戦争の悲劇」という大きなくくりに含まれるのだろう。

 28年の年月を飛び越えて戻った元日本兵が見たのは、富のあるなしですべてが決まる、金に束縛された社会だった。戦後日本の歩みとはいったい、何だったのか。

 正史の明るさ、明晰さに対して、暗さ、蒙昧さを手放さず、その中で事実を受け止め、考え、想像する。それこそが、私たちの歩みの実相を照らしだすのかもしれない。

(文藝春秋 2100円+税)=田村文

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