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 性的な加害や搾取は日常にあふれている。特に若い女性は「見られる」存在だから被害に遭いやすい。例えばセーラー服を着て片道1時間、満員電車で女子校に通学していた数十年前、私はしばしば痴漢被害に遭った。もちろん私だけではない。教室に着くと「スカートにカルピスつけられた」と嘆く同級生がいた。あまりにも理不尽だった。

 少女だったあの頃から、世の中は「おじさん」が回しているのだと知っていた。ルールも価値観も「おじさん」がつくる。「おじさん」はつくる側であり、見る側であり、消費する側だ。見られる側、消費される側に置かれている少女たちの魂が擦り減らないわけはないのだ。

 松田青子の『持続可能な魂の利用』を読み、当時の憤りややるせなさがよみがえった。本書は弱い立場にある者たちがこの世を生き抜くためのレジスタンス小説、反逆の文学だ。

 作品でまず提示されるのは、「おじさん」から少女たちが見えなくなった世界である。少女たちは見られることから解放され、自由を得る。そんな“ユートピア”が一度描かれた後で、救いのない現実社会が展開してゆく。

 敬子は会社で「おじさん」からいやがらせを受け、退社するはめに陥る。セクハラの被害を訴えても、正社員の40代の男と非正規の30代の女では、初めから勝負にならない。

 会社を辞めた後、敬子はあるアイドルグループに夢中になる。それは笑わない少女たちだ。生きづらさを訴え、同調圧力に抗えというメッセージがこもった歌を歌う。挑戦的に踊り狂う。特にセンターの××は異質で、強烈なインパクトがある。射るような眼差しに引き込まれた。

 そのグループは、芸能界に君臨する一人の「おじさん」がプロデュースしている。男社会側の意図が何かあるのかもしれない。だが敬子は思う。「この黒魔術みたいな踊りで、もしかしたら、普段彼女たちを操っている男たちを殺せるんじゃないか」。敬子は××たちに希望を見る。

 小説は敬子の同僚だった非正規労働の女性や、子どもを産んだばかりの女性、カナダに住む敬子の妹、かつてアイドルだった女性らから見える性差別の現実も描きだす。

敬子の元同僚の歩はピンクのスタンガンを持ち歩いている。高校時代は何度も痴漢に遭った。「制服は、相手をナメていい、触っていい、という目印になっていた」。でも、卒業しても同じだった。日本社会は常に女性に制服を課しているようなものだと気づいた。

 歩は、会社から追いつめられ、やめさせられた敬子のために闘う。加害者の男に反撃を試みるのだ。一方の敬子はある場所で××に遭遇する。それが思いがけない行動へと結び付いてゆく。

 現代社会が描かれるパートの合間に、近未来を生きる少女たちが現代社会について学んだり発表したりするパートが挟まれる。近未来から見える「いま」が、なんといびつでグロテスクであることか。この近未来パートは批評的色彩が強く、アイドル論にもなっている。

 現代社会のパートの終盤で、無力に見えた者たちがつながり、声をあげ、社会を変革してゆく。そして近未来のパートへの接続が示される。

 さて、本書でいう「おじさん」とはどんな存在か。女たちを見下す一方で、性的な存在と捉えて消費し、搾取する。自分は常に上位にあると信じて疑わない。若い「おじさん」もいれば、女の「おじさん」もいる。

現代のパートで、敬子は「魂は疲れるし、魂は減る」と気づき、歩は「どうして私の親は私に殺しのテクニックを叩き込んでくれなかったんだろう」と振り返る。

 そんな場面を読みながら思った。この“地獄”から抜けだし、社会が変革を遂げる時が近づいているのではないかと。差別や抑圧への怒りの水位は上がってきている。あと少しだ。

(中央公論新社 1500円+税)=田村文

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