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 水や火や風を尊び、大地と「添寝」してきたという先住民、アイヌ。現代社会に生きる私たちは、いまこそアイヌの精神性や感性に学ぶべきではないのか。アイヌとして生きる87歳の女性、詩人で古布絵作家の宇梶静江が自らの半生をつづった『大地よ!』を読み、そんな思いを抱いた。

 北海道・浦河町に1933年に生まれた著者は、誇り高いアイヌの魂を持つ両親に愛されて育った。子どものころは、夏は浜辺の村に、それ以外の季節は姉茶(あねちゃ)という村里で過ごした。6人きょうだいの上から3番目、幼いころは病弱だったが、成長するにつれてどんどん健康になっていった。

 暮らしは楽ではなかった。学校へ行っても和人の先生や同級生からいじめられるのでまともに行く気になれず、また生活のために小さいころから働かねばならなかった。

 和人によって、あるいは日本政府によって、アイヌは土地や言葉、生活習慣まで奪われ、人間としての尊厳を傷つけられてきた。第2次大戦中の生活は、さらに厳しくなった。

 11歳の時のこと。街にお使いに出た著者に、同年代の姉妹がすれ違いざま「アッ、“犬”が来た!」と言った。著者は動けなくなった。

 すさまじい差別と抑圧。でも常に学ぶことへの渇望があった。その思いがかなったのは戦後になってから。53年、20歳のときにやっと、札幌にある中学に入学した。

 中学卒業後に上京し、27歳で結婚。やがて詩作を始める。詩を書くことは、一つの解放だった。だが、アイヌのことは伏せていた。どう表現すればいいのか分からなかったのだ。

 そんな「内なるアイヌ」が臨界に達したのだろう。72年、「ウタリたちよ、手をつなごう」と題した文章が新聞に掲載されて、注目を集める。出自を隠して生きる同胞に向けて、連帯と解放への取り組みを呼びかける投稿だった。同時期に書いた詩「灯を求めて」は、こう結んだ。「いま私は大地にたつ」

しかし壁は厚かった。「自分たちは、別に“アイヌ”として生きたいとは思っていない。どうか放っておいてほしい」という同胞が大半だったのだ。彼らが抱えているであろう空虚は、自分の中にもあった。

 63歳で古布絵と出会ったことが、最大の転機となったようだ。アイヌの村にいるときに遭遇したシマフクロウを描こうと思った。真っ赤な目のシマフクロウに「アイヌはここにいるよ、見えますか?」という意味を込めた。それが彼女を再生させた。古布絵には、アイヌ刺☆(糸ヘンに肅)でアイヌの叙事詩・ユーカラを織り込んだ。

 いったんは手放した詩作も取り戻した。「天から零れ落ちてきた言葉の雫を、静かに私が受け止めて書き留めたような言葉」を刻んでいった。

 古布絵と詩という表現によって、アイヌらしく、真に大地に立ったのだ。

(藤原書店 2700円+税)=田村文

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