西日本豪雨、兵庫県内各地で復旧作業続く
2018/08/06 15:20
道路に積もった土砂やがれきをスコップでかき出す住民ら=9日午前10時38分、神戸市灘区篠原台(撮影・大森 武)
記録的な雨量を観測し、兵庫県内にも爪痕を残した西日本豪雨。一転して梅雨明けの強い日差しが照りつけた9日、県内各地の土砂崩れや浸水被害の現場などでは、住民らが噴き出す汗をぬぐいながら懸命に泥をかき出した。少しずつ日常が戻りつつあるが、復旧が見通せない避難者らの不安は続く。
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西日本豪雨による土砂崩れで孤立していた宍粟市一宮町公文の小原集落と溝谷集落に8日、自衛隊や県警、消防隊員ら約100人が入り、住民らを県消防防災ヘリ2機で救出した。近くの一宮北中学校の運動場に着陸した住民らはほっとしたような笑顔を見せた。
溝谷集落の実家に週末帰省していた女性(49)=同市=はヘリで避難し「友人らに安全を伝えたくても電話できず、山に登って携帯電話を使った」。娘(8)は「学校に行けるのでうれしい」と笑顔を見せた。
小原集落では停電で水道も使えなくなっているが、3世帯の男女3人が自宅に残ることを希望した。寸断している県道は復旧の見通しが立っていないという。
一方、大規模な土石流に襲われ、民家数軒が浸水した同町河原田では9日朝から、住民らが復旧作業に追われた。
小林俊信さん(66)の電機部品工場は約1200平方メートルの敷地が土砂に埋まった。近くの住民ら約20人が重機やダンプで土砂の撤去を進めるが、この日も流木でせき止められた川の水が流れ込み続けた。小林さんは「機械も土砂に埋まり、再開に何カ月もかかる。早く流木を撤去しないと、少しの増水で大変なことになる」と頭を抱える。
自宅前の橋や道路が崩落し、床上まで浸水した男性(53)方では、親族ら約10人が玄関先の泥や流木などを取り除いた。妻(53)は「命があってよかった。みんなで頑張って、元の生活に戻したい」と話していた。(古根川淳也)
■六甲山200人孤立解消
6日夜に土砂崩れが起きた神戸市灘区篠原台地区では、発生から丸2日以上たった9日も住宅街に多くの土砂が残り、住民がスコップなどでかき出していた。
ガレージ周辺の泥を取り除いていた会社員の男性(45)は「道路がふさがり、仕事や生活に影響が出ている」と疲れた表情を見せた。泥かき作業は自宅周辺で精いっぱいといい、「道路に積もった泥は重機がないと無理。時間がたてば臭いも出るし、泥が固まって処理が難しくなってしまう」と汗をぬぐった。
8日に作業していた自営業の男性(44)は「(土砂崩れの瞬間には)大きな石や流木が混じった土砂が迫ってきた。地区は高齢者が多く、住民だけで土砂を撤去できない。行政の支援がほしい」と訴えた。
一方、孤立状態が8日に解消した同市灘区の六甲山小学校では9日朝、児童が教員に付き添われて5日ぶりに登校した。
市によると大雨などのため5~8日、六甲山上への道路が通行止めになり、六甲山小学校周辺約100世帯200人らが孤立。山上のホテルや観光施設も臨時休業し、避難所となった同校には一時、計15人が身を寄せた。
規制解除後、最初の朝となった六甲ケーブル下駅で児童約30人がケーブルカーに乗り込み学校へ向かった。休校中、家で母親に「何で学校休みなん?」と繰り返したという1年の男児(7)は「学校が楽しみ」と笑顔を見せた。(村上晃宏、那谷享平)
■神戸の小中学校再開
週明けの兵庫県内は大雨から一転、各地で青空が広がった。5、6日と全校休校になった神戸市立の小中学校では、普段通りの朝の風景が戻った。大雨のピーク時には17世帯41人が避難した神戸●園小(同市兵庫区)では「先生、久しぶり」と元気よく児童があいさつ。藤井満教頭は「避難所の片付けや通学路の安全点検で大変だったが、子どもたちの元気な笑顔を見られた」と胸をなで下ろした。
大天守など有料区域の公開取りやめもあった世界文化遺産・国宝姫路城。9日は午前9時の開門前から約70人の行列ができ、管理事務所が「気温が高くなっているので、こまめに水分補給を」などとアナウンスで注意を呼び掛けた。
長野県伊那市から夫婦で訪れた会社員の男性(43)は「旅行の中止も考えたが、何とか晴れて助かった。じっくり見たいと思っていたので期待しています」と笑顔をみせた。
大混乱した鉄道も一部区間を除いて平常ダイヤでの運行が始まった。
山陽電鉄は土砂崩れのあった山陽須磨-霞ケ丘間が8日午後から運転を再開しており、9日朝の霞ケ丘駅は通勤客らが足早に改札を通り抜けた。長年利用している男性(76)は「日頃から(土砂崩れの)危険があると思っていた場所だったが、早く復旧してよかった」と話した。(井上駿、井沢泰斗、村上晃宏)
※●はネの右に「氏」