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尼崎JR脱線事故

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事故で亡くなった妻淑子さんの墓前で手を合わせる山本武さん=25日午前11時45分、西宮市山口町中野(撮影・後藤亮平)
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事故で亡くなった妻淑子さんの墓前で手を合わせる山本武さん=25日午前11時45分、西宮市山口町中野(撮影・後藤亮平)
初孫の一翔さんを抱える山本武さん。その表情は穏やかだ=西宮市内
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初孫の一翔さんを抱える山本武さん。その表情は穏やかだ=西宮市内

 尼崎JR脱線事故で妻淑子(よしこ)さん=当時(51)=を亡くした兵庫県西宮市の山本武(たける)さん(71)は、事故から15年となった25日朝、自宅で静かに手を合わせた。鉄道の安全を願い、JR西日本経営陣の責任追及に心を砕いた日々は今、1歳7カ月の初孫一翔(いつと)ちゃんをあやす穏やかなものへと変わった。例年この日は現場に行っていたが、今年は新型コロナウイルスの影響もあり、自宅で夫婦の朝の定番だったコーヒーを仏壇に供えた。「15年は数字にすぎない。悲しみが消えることはない」と話す。

 結婚30年目の2005年、淑子さんは、パートに行くため2両目の最後列に座っていて事故に巻き込まれた。1週間前、娘2人からプレゼントされた丹後半島旅行に夫婦で行ったばかりだった。朝に山本さんが出勤する時、玄関で手を振って見送ってくれた妻はその夜、遺体安置所の体育館に寝かされていた。

 遺族らでつくる「4・25ネットワーク」の中心的な役割を担い、時には怒りをあらわにして経営陣と向き合った。事故原因に迫ろうと、監察医や検察官にも会った。経営陣の刑事裁判の間、脳梗塞で入院し、肺がんの手術も受けた。

 だが「きょうこそは(経営陣が)真実を語ってくれる」と信じ、公判に通い続けた。判決はいずれも無罪。無念だったが、「やるべきことはやった」と活動にひと区切りをつけた。

 16年、脱サラ後に創業した繊維卸会社を思い切ってたたみ、姉と43日間の北海道旅行に出た。新婚旅行で訪れた思い出の場所だった。仕事に明け暮れ、夫婦での旅行は数えるほど。生前、「いつかのんびり一周したいね」と言ってくれた淑子さん。美しい眺めにさみしさが込み上げたが、「妻が見たかった景色を見せてあげられた」と喜びも感じた。その後九州も一周し、仏前で思い出を報告した。

 18年9月、近くに住む次女が長男一翔ちゃんを生み、毎週のように連れてきてくれる。昨年末から飼い始めた愛犬も交え、みんなで楽しくじゃれ合う。裁判資料の束を置いていた仏間の一角は、一翔ちゃんのために購入した三輪車置き場に。「孫のことは妻にいつも話しているよ」。ひときわ穏やかな表情を浮かべる。孫が大きくなったら、事故のことも少しずつ話すつもりだ。

 そして迎えた15年目の朝。妻に任せっきりだったコーヒーを、2人分手際よく準備した。

 事故の風化を社会全体で食い止めたいという思いから、JR西に車両の公開やマンションの全部保存を求めていた山本さん。これからも取り組みを見つめていくつもりだ。「いつまでもしっかり見守っていてな」。心の中で妻に語りかけた。(竹本拓也)

2020/4/25

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