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尼崎JR脱線事故

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遺体安置所のロビーでうなだれる遺族とみられる人たち=尼崎記念公園総合体育館
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遺体安置所のロビーでうなだれる遺族とみられる人たち=尼崎記念公園総合体育館
夜が更け、疲れをにじませる人の姿が目立った=尼崎記念公園総合体育館
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夜が更け、疲れをにじませる人の姿が目立った=尼崎記念公園総合体育館
大量の人を動員して行われた救出活動=尼崎市久々知3
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大量の人を動員して行われた救出活動=尼崎市久々知3

 諦めたような気持ちで体育館に向かった。

 2005年4月25日午後4時すぎ。当時会社員で50代だった兵庫県三田市の男性Eさんは、大学生だった娘の名前を紙に書いて受付係に手渡した。

 「空白というか、白紙というか。何も考えられなかった。娘の友人たちが駆け付けてくれても、待つ間はみんな無言だった」

 ロビーの長いすに座っていると、テレビにニュースが流れている。窓の隙間から撮られている自分たちが映っていた。

 その日午前、職場にいると妻から「JRが事故を起こして(娘と)連絡が取れない」と連絡があった。携帯電話にかけてもつながらない。タクシーで事故現場に行くと、2両目がぺしゃんこになってマンションの壁に巻き付いていた。ああ、乗っていたらもう駄目だ…。体の力が抜けた。

 午後7、8時だったと記憶している。「今どういう状況なのか説明してほしい」と懇願する家族の声が次第に大きくなる中、情報を求める家族が地下1階の部屋に案内された。黒板のような板に、女性っぽい2人の顔が張りだされた。

 県警は、亡くなった身元不明者の写真を見せて情報を求め始めた。そして遺体が増え続けるため、安置スペースはサブアリーナを閉じて、施設内で最も広いメインアリーナに移した。

 Eさんは部屋にいると「○○さん(娘)のご家族はいらっしゃいますか」と呼ばれた。持っていた身分証で分かったという。棺が並ぶ中を進み、立ち止まってふたの小窓から顔を見た。

 「悲しいでもない、ほっとしたでもない。ただ早く連れて帰ってあげようと思った」

 妻は隣で泣き崩れていた。

 その頃、当時40代の女性Fさん(三田市)は、大学生の息子を案じながら、体育館の駐車場に止めた車内にいた。

 地下の部屋に一度入ると、長机に顔写真がずらりと並び、新たに写真が加わるたびに人がわっと群がる。JR西日本の社員に怒声をあげ、泣く人もいた。近づけずに外に出ていた。

 朝にニュースで事故を知り、学校に問い合わせると「まだ来ていません」と告げられた。足がすくんで動けなくなり、夫や自身の弟と病院を巡っても車内で待った。

 「現実から逃げていたからだと思う。情報が集まる体育館に行こうと弟に説得されても、行きたくなかった。亡くなった人がたくさんいるそこに、息子がいてほしくなかったから」

 車内で夜が更けていく。深夜、息子の友人が数十人も来たと聞いて地下の部屋に戻ると、友人たちが長男の持ち物を詳しく書いてくれていた。かばんは友人と交換したもの。靴はバイト先の塾で大好きだった先生からもらったもの。母の知らなかった息子の「外」の世界に触れた気がした。

 26日明け方、身元判明の鍵になったのは息子の携帯電話だ。電源を切っていたので電池が残っていた。付き合っていた彼女が必死にかけ続け、つながった声は安置所の警察官だった。

 「あの子は真面目だから、電車に乗る時は電源を切ってポケットに入れていて。彼女がかけ続けていた時に、警察官がなぜか電源を入れたの」

 朝が来る。長男の名前が呼ばれ、夫と弟が顔を確認して検視が終わるのをロビーのベンチで待った。

 体育館の裏口に寝台車が来た。棺を運び込む場に立ち会って、衣服が入った袋を受け取る。中に、黒い紙のようなものが見えた。

 救助の優先順位を示すトリアージのタグだった。黒色が意味するのは「死亡」「助けられない」。(取材班)

2020/4/26

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