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第8部 日本ジャバラ工業社長 田中信吾さん

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創業当初に製造していたジャバラ(撮影時期不詳、日本ジャバラ工業提供) 業界最大手・日本ジャバラ工業の2代目社長、田中信吾さん。後ろの肖像画は創業者の父貞雄さん=神戸市兵庫区水木通9(撮影・小林良多)
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創業当初に製造していたジャバラ(撮影時期不詳、日本ジャバラ工業提供)

業界最大手・日本ジャバラ工業の2代目社長、田中信吾さん。後ろの肖像画は創業者の父貞雄さん=神戸市兵庫区水木通9(撮影・小林良多)

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  • 業界最大手・日本ジャバラ工業の2代目社長、田中信吾さん。後ろの肖像画は創業者の父貞雄さん=神戸市兵庫区水木通9(撮影・小林良多)

創業当初に製造していたジャバラ(撮影時期不詳、日本ジャバラ工業提供) 業界最大手・日本ジャバラ工業の2代目社長、田中信吾さん。後ろの肖像画は創業者の父貞雄さん=神戸市兵庫区水木通9(撮影・小林良多)

創業当初に製造していたジャバラ(撮影時期不詳、日本ジャバラ工業提供)

業界最大手・日本ジャバラ工業の2代目社長、田中信吾さん。後ろの肖像画は創業者の父貞雄さん=神戸市兵庫区水木通9(撮影・小林良多)

  • 創業当初に製造していたジャバラ(撮影時期不詳、日本ジャバラ工業提供)
  • 業界最大手・日本ジャバラ工業の2代目社長、田中信吾さん。後ろの肖像画は創業者の父貞雄さん=神戸市兵庫区水木通9(撮影・小林良多)

 阪神・淡路大震災とその後のデフレ不況を乗り越えてきた経営トップへのインタビュー連載企画「明日を拓(ひら)く」。シリーズ第8部は、機械部品メーカー、日本ジャバラ工業(神戸市兵庫区)の社長、田中信吾さん(69)にスポットを当てる。工作機械を保護する「工業用ジャバラ」の最大手メーカーを率いて、ことしでちょうど30年。その一方で、兵庫県中小企業家同友会のトップとして、経営者の在り方や震災の教訓を全国で語り継ぐ。まずは会社の事業と歴史を語ってもらった。(西井由比子)

 -そもそも、工業用ジャバラとは。

 漢字で書くと「蛇腹」。部材を山折り、谷折りしたアコーディオンのような構造で、さまざまな機械に取り付けられる。機械の動きに合わせて伸び縮みし、水やほこり、油、切りくずから、装置の心臓部を守るカバーの役割を果たす。まさに、くねって動くヘビの腹のように見える。

 -一般の人にはなじみが薄い。

 生産現場だけでなく、実はさまざまな場面で見られる。飛行機の搭乗橋の接続部に使われているし、テーマパークにある回転遊戯具のスポークをカバーしたり、東京ドームの屋根を支えるシリンダーを保護したりしている。最近では大阪・通天閣に大型ジャバラを納入した。本体とエレベーター塔とを結ぶ通路の接続部がそうだ。

 -ジャバラを国産化した草分けでもある。会社の歴史は。

 1957年、神戸市葺合区(現中央区)琴ノ緒町で父が創業した。当時、この辺りには町工場が集積しており、海外製の工作機械に付いていたジャバラの修理を頼まれたことをきっかけに、事業を始めたと聞いている。創業時の社名は「日本蛇腹工業所」だったが、ヘビを扱う大道芸人が勘違いして、当社にヘビを買いにきたとかで、数年後に表記をカタカナに変えて今の社名となった。

 -創業当初に手掛けたのは、工作機械用のみだったのか。

 必要に応じてさまざまなものをつくった。例えば、55年に発売されたトヨタ「クラウン」のエアコン用ジャバラだ。当時、自動車のエアコンは標準装備でなく、顧客の別注で追加するオプション品。エンジンルームからジャバラを通して助手席に冷風を送っていた。やがて工作機械が国産化されるようになると、ジャバラの需要はさらに伸びた。

 -会社はどのように成長したのか。

 やはり高度成長期だ。私は長男として家業を継ぐ意志を固め、入社した64年に名古屋と東京に営業所が開設。3年後には三木工場ができた。

 当社製のジャバラの素材は、ガーゼのような布をゴムで挟んだ「基布(きふ)」が主流だった。しかし、鉄鋼、造船の活況で工作機械が高速・大型化すると、切りくずなどから機械を守るジャバラの使用環境は過酷になった。70年代には耐久性のある鉄製の需要が高まり、それを手掛けた関東の同業メーカーが急伸していた。

 そこで79年、当社も鉄製の自社生産に踏み切った。それまで鉄製は設計のみで、生産は外注していた。ゴム製はさまざまな用途で需要があったが、私が父に進言して鉄製にかじを切った。基布を加工する鋏(はさみ)、のり、ミシン、作業台しかなかった生産現場は、大型の板金設備を備える近代的な工場に生まれ変わった。

 -社長に就任した経緯は。

 鉄製に本格的に取り組むようになってから7年後の86年、父から跡目を託された。会社が新たなステージに移り、軌道に乗ったタイミングで、次の世代に引き継ごうと考えたのかもしれない。しかし、85年の「プラザ合意」に端を発する円高不況で、製造業の経営環境は急速に悪化していた。

【たなか・しんご】 1946年熊本県生まれ。兵庫県立兵庫工業高校卒。64年日本ジャバラ工業。専務を経て、86年から現職。81年に兵庫県中小企業家同友会に入り、98年に代表理事。代表理事の複数制導入に伴い、2006年から筆頭代表理事。神戸市東灘区在住。

【日本ジャバラ工業】

 工業用ジャバラの総合メーカーで、シェアは業界首位。1957(昭和32)年に田中信吾氏の父貞雄氏が設立。日本で初めて工業用ジャバラを製造した。主力は工作機械向けで売り上げの7割を占める。資本金4千万円。2015年9月期の連結売上高は約31億円。生産拠点は三木市と中国・上海の2カ所。国内の従業員数120人。

2016/1/12

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