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第8部 日本ジャバラ工業社長 田中信吾さん

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樹脂製ジャバラ「リベロー」を手にする田中さん。軽量で扱いやすく、鉄製では対応しきれない需要をつかんだ=三木市細川町増田(撮影・風斗雅博) イタリアの訪問時に記念撮影した田中さん(右)と、テクニメタルの社長(1996年ごろ撮影、日本ジャバラ工業提供)
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樹脂製ジャバラ「リベロー」を手にする田中さん。軽量で扱いやすく、鉄製では対応しきれない需要をつかんだ=三木市細川町増田(撮影・風斗雅博)

イタリアの訪問時に記念撮影した田中さん(右)と、テクニメタルの社長(1996年ごろ撮影、日本ジャバラ工業提供)

  • 樹脂製ジャバラ「リベロー」を手にする田中さん。軽量で扱いやすく、鉄製では対応しきれない需要をつかんだ=三木市細川町増田(撮影・風斗雅博)
  • イタリアの訪問時に記念撮影した田中さん(右)と、テクニメタルの社長(1996年ごろ撮影、日本ジャバラ工業提供)

樹脂製ジャバラ「リベロー」を手にする田中さん。軽量で扱いやすく、鉄製では対応しきれない需要をつかんだ=三木市細川町増田(撮影・風斗雅博) イタリアの訪問時に記念撮影した田中さん(右)と、テクニメタルの社長(1996年ごろ撮影、日本ジャバラ工業提供)

樹脂製ジャバラ「リベロー」を手にする田中さん。軽量で扱いやすく、鉄製では対応しきれない需要をつかんだ=三木市細川町増田(撮影・風斗雅博)

イタリアの訪問時に記念撮影した田中さん(右)と、テクニメタルの社長(1996年ごろ撮影、日本ジャバラ工業提供)

  • 樹脂製ジャバラ「リベロー」を手にする田中さん。軽量で扱いやすく、鉄製では対応しきれない需要をつかんだ=三木市細川町増田(撮影・風斗雅博)
  • イタリアの訪問時に記念撮影した田中さん(右)と、テクニメタルの社長(1996年ごろ撮影、日本ジャバラ工業提供)

 阪神・淡路大震災で被災した日本ジャバラ工業(神戸市兵庫区)。社長の田中信吾さん(69)は、震災復旧の公的制度融資を利用して新製品開発に乗り出す決意をした。1996年2月、単身でイタリアに渡る。向かった先は、知り合いの社長がいるミラノ近郊の同業メーカーだった。

(西井由比子)

 -なぜ、イタリアへ。

 何かにすがりたい気持ちだった。技術力の向上につながるヒントがほしかった。行き先は「テクニメタル」という地元の有力メーカー。工場に着くと、日本にまだ存在していなかった樹脂製のジャバラを開発中だと聞かされた。軽くて丈夫、使い勝手がよさそう、これはいける-と直感した。相手もアジアで需要があると見込み、当社に技術供与するという話が、とんとん拍子で進んだ。

 -テクニメタルとは、どんな関係だったのか。

 欧州で開かれる工作機械の国際見本市で、93年に社長と初めて会った。当時は会社の技術力よりも、イタリア人らしい気さくな社長の人柄にひかれた。震災後、何か行動を起こさないと怖かったから、社長のことを思い出してテクニメタルに飛び込んだ。イタリア語の電子辞書一つで技術供与の商談が成立したのだから、やってみれば何とかなるものだ。私はつくづく運がいいと思う。

 -樹脂製ジャバラの特長は。

 ジャバラは工作機械の制御部分を守るため、加工物を切削するときに使われる水や油、そして振動への耐久性が求められる。ただ、従来の鉄製はサイズの異なる鋼板をいくつも重ね合わせて伸縮させる構造なので、継ぎ目から水、油が浸入することがあった。樹脂製は一枚の生地に山谷の折り目を付けるので継ぎ目がなく、水、油が漏れない。さらにゴム・布製よりも耐久性に優れている。

 -技術供与を受け、自社生産に至った経緯は。

 震災の特別融資で得た5千万円を全額使って、専用の生産設備をイタリアから導入した。三木工場の技術者1人を1カ月間、現地に派遣してノウハウを蓄積した。新製品は「リベロー」と命名し、97年に発売した。英語のジャバラ(bell(べローズ)ows)に、再び(r(リ)e)革命(revoluti(レボリューション)on)を起こすという願いを込めた。

 -販売動向は。

 それが1年ぐらい全く売れなかった。取引先の大半が大手とはいえ、実績のない製品の購入には慎重だ。「既存品より15%安くないと買えない」と言われたが、安売りをすると5千万円の資金回収ができなくなる。営業マンの尻をたたいても売れないので、彼らも自信を失っていった。

 -せっかく樹脂製を開発したのに…。

 当時は金融システム不安が広がっており、メーンバンクも融資姿勢は慎重だった。追加融資をお願いしてもらちが明かず、手持ち資金が減るにつれて眠れなくなった。酒の力を借りて夜9~10時に眠りに落ちた後、夜中の2時、3時に目が覚める日が続いた。もうだめだ、つぶれる-。何度思ったかしれない。

 -突破口は。

 日本国内であった見本市に出品したことをきっかけに、大手工作機械メーカーにリベローが採用された。1社が導入を決めると、他社に広がるのは早かった。リベローはその後、当社を支える主力製品に成長した。

 震災後、産業界では、危機管理のために取引先を分散させようとの考えが広まった。実際に被災して同業者から取り残される不安が強かった。でも、思い切って行動すると道が開けた。震災は会社を鍛えてくれた。受け身体質の会社を変える転機が、リベローだった。

2016/1/14

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