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第8部 日本ジャバラ工業社長 田中信吾さん

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宮城県中小企業家同友会の講演会で、阪神・淡路大震災の経験と教訓について話す田中さん(2011年5月27日撮影、宮城県中小企業家同友会提供)
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宮城県中小企業家同友会の講演会で、阪神・淡路大震災の経験と教訓について話す田中さん(2011年5月27日撮影、宮城県中小企業家同友会提供)

宮城県中小企業家同友会の講演会で、阪神・淡路大震災の経験と教訓について話す田中さん(2011年5月27日撮影、宮城県中小企業家同友会提供)

宮城県中小企業家同友会の講演会で、阪神・淡路大震災の経験と教訓について話す田中さん(2011年5月27日撮影、宮城県中小企業家同友会提供)

 2011年3月に東日本大震災が発生すると、田中信吾さん(69)は、兵庫県中小企業家同友会のトップとして被災地へ飛び、地元の中小企業経営者らを見舞った。阪神・淡路大震災を経験した同友会として、「1・17」後に手を差し伸べてもらったことへの感謝とともに、伝えたいメッセージがあったからだ。(西井由比子)

 -東日本大震災発生後、どのように行動した。

 1千万円を義援金としてすぐに送った。阪神・淡路大震災後、こういう非常事態に備えて積み立てており、迅速に対応できた。発生の5日後には新潟、山形の同友会の協力で、両県経由の搬送手段を確保。マスクや懐中電灯、カセットコンロなどの救援物資を陸路で届けた。

 4~7月にかけては、宮城、岩手の被災地を視察し、それぞれの同友会を計4回訪ねて講演をした。目に飛び込んできたがれきの山は、かつての神戸の光景を思い出させ、こみ上げるものがあった。一番伝えたかったことは「中小企業が元気にならない限り、まちはよみがえらない」「皆さんの会社が生き残り、繁栄することが最大の地域貢献」ということだ。

 -具体的には。

 自らの体験で得たことだ。経営者には従業員の雇用を守り、その家族の生活を守る責務がある。雇用を維持してこそ、労使一体の情熱、緊張感が生まれ、会社の復興も早く進む。震災特需の恩恵を受ける業界もあろうが、特需の後には10年間の不況が来る。そのときに備えて起死回生の策を打ち、第2、第3の創業に取り組まねばならない。復元だけでは、復興はなり得ない。阪神・淡路大震災のときに、それができなかった仲間は何人も倒れていった。「皆さん、5年後に笑顔で会いましょう」と呼び掛けた。

 -21年前は全国の同友会から支援を受けた。

 総額8千万円を超える支援金と、バイク260台、自転車200台などの救援物資が寄せられた。物資は会員で分け合ったが、支援金をどう使うかで議論になった。同友会存続のために使うのがふさわしい、との結論に至り、会員が被災の影響で納められなくなった会費を肩代わりすることなどに充てた。こういう細かい話も何かの役に立つと思い、東北の同友会に伝えた。

 -二つの大震災を経て思うことは。

 攻めと守りの両輪でこそ、経営は成り立つ-ということを学ばせてくれた。05年、中国・上海に工場を建設した。三木工場だけでは手狭になっていたし、生産コストを抑えるには中国進出が妥当だった。しかし、中国工場の黒字化を目前にした08年、リーマン・ショックに見舞われた。経営環境は急速に冷え込み、中国事業はおろか、日本国内の業績だけみても、その年の売り上げは前年から半減し、1億円の赤字を出した。

 -影響は尾を引いたのか。

 「阪神・淡路」の後、経営を安定させるために自己資本を積み上げており、何とか苦難をやり過ごすことができた。当時で10%程度だった自己資本比率は、リーマン・ショックの時点で60%にまで引き上げていた。震災の経験が生きて危機を乗り越えられた。

 中国工場にはその後、営業担当を配置した。当初、製品はすべて日本に逆輸入するつもりだったが、中国市場で新たに販路を開拓する方向に切り替えた。今では売上高が8億円と、日本の3割を占めるまでに拡大した。苦境は成長のチャンスにすることもできる。

2016/1/16

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