【連載】学校いま未来 第3部 休校から見えたこと(3)震災との違い
2020/05/06 11:30
がらんとした体育館で、震災当時を振り返る中溝茂雄さん=神戸市須磨区青葉町3、鷹取中学校(撮影・斎藤雅志)
「運動会はなくなるの?」「授業はどうなるの?」
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神戸市灘区のパートの女性(40)は小学5年の長女(11)から何度も尋ねられる。長女はなかなか寝付けず、夜中に何度も目が覚めるようになった。
「あの時と違って、子どもたちはただ家にこもるだけ。誰かを助けることも、何かを学ぶ機会もない」。女性は不安げに話す。
「あの時」とは25年前の阪神・淡路大震災のこと。中学3年だった女性は自宅が一部損壊し、学校は避難所になった。避難所で物資を運び、近所のお年寄りの手伝いに走り回った。
震災では神戸市立の学校園(全345校園)のうち295校園が被災し、半数以上の188校園が避難所となった。それでも、驚異的な早さで、発生から約40日後の2月24日に全校園が再開できた。
一方、新型コロナウイルスの感染拡大防止で、休校は5月末まで続き、春休みを挟んで3カ月間授業がない。期間だけでも震災をはるかに上回った。子どもたちは学校に近づくことすらできない。
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震災で、校区一帯が大きな被害を受けた同市須磨区の市立鷹取中学校。避難してきた人で体育館や教室はごった返し、運動場にもあふれた。
避難所の運営は学校が担わざるを得なかった。マニュアルはなく、教員らは物資の配り方から考え、泊まり込んで対応した。生徒らは誰の指図も受けずに、ボランティアに励んだ。
「荒れている子もいたし、中学校は地域から煙たがられる存在。それが地震の後は、学校を頼りにしてくれた」。同校で避難所を運営した元教諭の中溝茂雄さん(62)は振り返る。「勉強じゃない、あの時にしかできない教育があった」
その経験は「命を大切にする教育」として、引き継がれていく。神戸市教育委員会は避難所のマニュアルを作り、防災の副読本「しあわせはこぼう」を編んだ。
取り組みは全国のお手本となった。神戸市教委総合教育センター所長山下准史(じゅんじ)さん(58)は、東日本大震災で仙台市の小学校を支援。「神戸の教師」に向けられる熱い視線を覚えている。
山下さんは阪神・淡路当時の空気を語る。「校長会は市教委に積極的に意見し、市教委もトップダウンでなく現場の声を尊重した。危機を共有したからでしょう」
負の遺産もある。神戸市教委の1995年度の教員採用数は前年度の4分の1。低水準は数年続き、今になって中堅層の薄さにつながり、ひずみが発生している。
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新型コロナの終息が見通せない中、受験への心配の声が上がり始めた。
震災では県教育委員会が10年間、高校入試について被災状況を合否の判定材料とする臨時措置を続けた。 感染の影響は広範囲に生じており、難しい議論になりそうだ。市立鷹取中学校の石川潔司校長(58)は「学力の遅れとともに、家庭崩壊が気がかり」と話す。親の経済的苦境は、子どもたちの進路を脅かす。
「震災時も苦しい家庭はあった。でも今は、復興と違ってゴールが見えない」(斉藤絵美)
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