兵庫のそうめん発祥地は神戸・東灘 三輪素麺と並ぶ一大生産地の歴史も
2019/03/08 05:30
灘乃糸の製造過程(北神食糧提供)
「兵庫県に於ける素麺発祥の地」。サンシャインワーフ神戸(神戸市東灘区青木1)北側の道路沿いに立つ石碑にはこう刻まれる。兵庫のそうめんと言えば…。「揖保乃糸でしょ!」。そう思っていたが、魚崎町誌には江戸後期の1790年ごろ、東灘でそうめん作りが始まったとある。「灘目そうめん」と呼ばれ、三輪素麺(奈良県)と並ぶ一大生産地だったらしい。同区内には現在、そうめん製造業者は見当たらない。灘目そうめんの灯は消えてしまったのか。 (村上晃宏)
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この地にそうめんが生まれたのは、かつて住吉川に数多くあった水車の影響が大きい。水車では精米のほか、菜種や綿種の搾油に活用され、小麦の製粉にも使われた。その小麦粉で作ったのが灘目そうめんだ。三輪素麺の手法を取り入れたとされ、1886(明治19)年、摂州灘素麺営業組合が結成され、事務所が魚崎町に置かれた。
97(同30)年ごろには生産量が380トンにも達し、カリフォルニア、パリ、セントルイス万博で、それぞれ優秀賞に輝いた。
製造に携わったのは、農閑期に出稼ぎに来た西播磨の農家の人たちで、帰郷後は播州そうめんの品質向上に役立てられたという。
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水車産業の衰退とともに姿を消した灘目そうめん。今では、東灘区が兵庫のそうめん発祥地と知る人は少ない。
「その手法を受け継いでいる人はいないのか」
文献をめくり、地元の古老に尋ね、製麺業の関係者などを当たったところ、1本の情報が寄せられた。
「北区に『灘』が付くそうめんがあります」
すぐに北区に向かった。
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米穀・食品販売会社「つくしや」(北区筑紫が丘1)に「神戸素麺 灘乃糸」が並ぶ。「1年間じっくり寝かした古は、油っこさが抜け、にゅうめんに適している」と、代表の池田五郎さん(74)が笑う。
「これが灘目そうめんを継承する商品ですか?」
尋ねてみると、答えは「ちょっと違います」。
池田さんは東灘区御影塚町出身。灘目そうめんの継承者ではないが、「東灘がそうめんの一大産地であった歴史を伝えたい」と考え、市内で唯一の手延べそうめん製造会社「北神食糧」(北区淡河町)に「灘目そうめん」の歴史を掲載した商品の販売を持ち掛けた。
名前も同じにしようとしたが、既に商標登録されており、「灘乃糸」として2012年から販売を始めた。地域らしさと創意工夫を兼ねそろえた「五つ星ひょうご」や、神戸らしいおしゃれで高品質の「神戸セレクション」にも認定され、現在は年間約3トンを出荷するまでになった。