魚屋道に挑む(上) 江戸時代に鮮魚運んだ古道
2019/03/12 05:30
大日霊女神社に立つ「魚屋道」の石碑の説明をする森下孝一さん(右)と尾坂吉三郎さん=東灘区深江本町3
江戸時代、深江浜(神戸市東灘区)に水揚げされた鮮魚は六甲山越えの最短ルートで有馬温泉の湯治客のもとへ運ばれた。商人たちが利用したその道の名は「魚屋道」。現在も六甲山の登山ルートとして残る。道を守り、後世に伝える取り組みを続ける「魚屋道を歩こう会」のメンバーとともに、その道に挑んだ。(末吉佳希)
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2月上旬の午前9時、阪神深江駅で案内役の森下孝一さん(70)、尾坂吉三郎さん(66)と落ち合う。阪神・淡路大震災後に同区の住民らが活動を始め、年に一度、歴史解説を交えた登山イベントも開いている。
「道のりは約12キロ。登山慣れした方なら4時間もあれば有馬が見えます」と歩みを始めた森下さんのつま先は、なぜか浜手へ。大日霊女神社まで南下し、「魚屋道」と書かれた石碑の前で立ち止まった。「この神社には、かつて海の近くにあった深江浜えびす神社も祭られている」と森下さん。豊漁祈願と漁師の守護神として信仰が厚かった同神社近くでは、地引き網や手網漁が盛んで、イワシやスズキ、カレイなどが水揚げされていたという。「江戸の商人たちはこの辺りで魚を仕入れ、山越えを決意した」と森下さんの目線は山の方へ。一行の北上が始まった。
駅から約600メートル歩くと、山を背に立つ赤く大きな鳥居が見えてきた。その500メートル北にある「森稲荷神社」へと続く参道の始まり「赤鳥居」だ。715年(奈良時代)のある夜、深江の沖に現れた稲荷大明神の啓示で同神社は建立された。境内の手水鉢に目をやると、旧深江村時代にあった魚屋の名が刻まれていることが分かる。拝殿の鈴を鳴らして手を合わせ、峠越えの無事を祈った。
住宅街を抜け、甲南女子大を横目に歩くとコンクリート道が終わり、砂利道が始まる。「さぁ、本番です」と尾坂さんの声に力がこもった。