お城なくても「城ノ前」なぜ? 地域に残る深い愛着

2019/03/31 17:02

阪急御影駅前にある御影城跡の碑を説明する道谷卓さん=東灘区御影2

 神戸市東灘区を流れる石屋川の近くにある交差点やマンションの名前に使われている「城ノ前」。だが、どこを見渡してもお城はない。調べてみると、御影のそこかしこに残る城の片りん。兵庫県の姫路や明石と比べ、神戸は城への愛着が薄いようにみえるが、かつて存在した城に、地元の人たちが愛着を持っていたことがうかがえる。 関連ニュース 神戸中心部のバス1日乗り放題券、市民は半額に アプリで登録すれば11月末まで最大5回 神戸市と芦屋市のごみ処理広域化、来年にも協議書締結で調整 30年度以降受け入れ開始 三田市、市民病院看護師らの給与保障へ 指定管理制導入で固定給最大2割減 公務員と同等の待遇検討

 「御影村城観応年間平野氏拠焉」
 江戸時代享保年間の地域誌「摂津志」にある一節。観応は南北朝時代の北朝の元号で、平野氏という武士が御影村の城を拠点にしていたことを記している。
 姫路独協大副学長の道谷卓(たかし)さん(54)によると、この城は同時代の武将赤松円心の家臣だった平野忠勝が築城。「御影城」または「平野城」と呼ばれ、御影北小や御影霊園の周辺が本丸で、深田池を堀にした堅固な城だったと推定される。いつ廃城になったかも明確ではなく、詳細はよく分かっていないらしい。
 「城ノ前」はいつしか字名から消えたが、近くには今も「大手筋」という交差点があり、城の先端を示す「滝ケ鼻」という地名もあった。「神戸は港町で、お城が身近でない分、かえって親しみが大きかったのでは」と道谷さん。「名前が残っていると、城の存在をたどることができる。地名に残るほど愛された城が御影にあったことを知ってもらいたい」と話す。
 皆さんの近くで、なぜ?と思う地名はありませんか。調べてみると、知らなかった地元の側面がみえてくるかもしれません。(長沢伸一)

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