(1)元震災対策担当相 小里貞利さん
2011/04/07 16:52
東北から関東までを襲った東日本大震災。巨大地震に津波、原発事故が重なった未曽有の複合災害に、どう対応すべきか。阪神・淡路大震災などの災害復興に携わった各界の関係者に聞いた。
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今、必要なのは(被災地にまつわる問題の)分野ごとに司令塔を置き、それぞれに責任を持たせることだ。政府は、それを系統的に集約する。高度な判断を要する問題は官邸に上げるが、現場の問題は司令官に任せる。被災された皆さんは、政府にそういう機能や使命感があるのか不安を持っていると思う。
「復興院」や「復興庁」の設置が言われるが、それは一つの手立てにすぎない。「復興庁ありき」ではない。被災地を復興するにも、同じ場所に港や道路や公共施設を造っていいのか。そこに津波が再び訪れないという保証はない。まずは街をどこに復元するかという問題から始まる。その点が阪神・淡路とは違う。
阪神・淡路大震災は、当時として想像を絶する大災害だった。情報通信も今ほど発達しておらず、官邸が実情を把握するのに時間がかかった。それだけに初動対策を批判されたが、3日目に現地入りした村山富市総理が「特命大臣を置く」と腹を決め、翌日私が就任した。
すぐに訪ねた被災地は本当に悲惨な状態だった。だが、神戸の人たちには聡明さ、立ち上がろうとする気概がみられた。国も県もなく、日ごろの行政区分を超えて一体となって働いていた。挙国体制で国難に当たろうという大きなうねりを感じた。
いつの時も(政治家は)、被災地に向けたメッセージを早く出さないといけない。それが被災者の気概や復興への夢を引き出すのだから。(聞き手・山崎史記子)
▽おざと・さだとし 1930年鹿児島県生まれ。同県会議員を経て79年、衆院議員に初当選。労相などを歴任。95年に阪神・淡路大震災対策担当相に就任、同年8月の内閣改造まで務めた。2005年に政界引退。