初手術施した親友に吐露 「iPS開発は通過点」

2012/12/09 17:34

学生時代、平田修一さん(左)の一人暮らしのマンションで酒を飲む山中伸弥さん(右)ら=1984年10月(友人提供)

 「まだ一人も治していない」。ノーベル医学生理学賞を受賞する京都大の山中伸弥教授(50)は、芦屋市に住む親友の鉄鋼商社社長平田修一さん(50)にこう漏らしていた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発は通過点で、病気の治療が目標という。一方「下手」とも言われる山中さんの手術を、平田さんは身をもって体験した。

 2人は、大阪教育大付属天王寺中学と同付属高校天王寺校舎の同級生。お互いを「やまなか」「ひらしゅう」と呼び合う。高校卒業後は、ともに神戸大に進学。平田さんの一人暮らしのマンションで毎週末のように酒を飲んだ。
 そんな平田さんは1990年、飲み会の席で整形外科医だった山中さんに、喉仏の横にできたこぶについて相談した。皮膚の角質などがたまって膨らむ「アテローム」だった。「俺が手術するで」。山中さんが後日、切除手術を執刀した。
 だが手術がなかなか終わらない。徐々に局部麻酔が切れ、思わず「痛い」と声が出た。「すまん、ひらしゅう」。山中さんは手術中、何度も謝っていた。
 平田さんは2008年、母校で開かれた山中さんの講演で、初めて真相を知る。山中さんは「もともと手術が下手で、15分で終わる手術に1時間以上かかった。今日は私の初手術の『実験台』、いやいや患者である平田君が来てくれています」とスピーチ。「衝撃の告白やった」と平田さんは笑う。「ただ彼の名誉のために言うと、91年に同じような手術をしたときは30分で終わったんやで」
 平田さんは、山中さんのノーベル賞受賞決定を自分のことのように喜んだ。だが決定直後の記者会見の様子が気になった。「ニコリともせえへん。テレビを見ている患者のことを考えたんやろ。病気を治したいと一番思っているのは山中本人。患者を治してもう一度ノーベル賞を取ってほしい」

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