10代での経験から医学を志す 2度の挫折経て新たな気づき 中高生ら対象に講演 

2015/04/26 17:40

講演する山中伸弥所長=県立芸術文化センター

 ノーベル医学生理学賞受賞者で京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥さん(52)=神戸大医学部出身=の講演会が、西宮市の兵庫県立芸術文化センターで開かれた。テーマは「未来を担う子どもたちへ」。山中さんは中高生ら約2千人に対し、自身の挫折体験などを披露しながら、研究の歩みや目標に向かって進むことの大切さを話した。(金井恒幸)


 昨年11月に亡くなった前知事の貝原俊民さんをしのび、建築家の安藤忠雄さんが語る講演会シリーズ(神戸新聞社など主催)の特別編として、今月21日に開かれた。
 山中さんはあらゆる組織になれる人工多能性幹細胞(iPS細胞)を開発し、2012年にノーベル賞を受賞。昨年9月に神戸で実施されたiPS細胞を使った世界初の移植手術に技術協力した。

▼原点
 講演で山中さんは、高校生のころ、肝硬変になった父親から「医者になれ」と勧められたことや、中学から大学1年まで柔道をしていて骨折が多く、そのたびに整形外科を受診して「自分も整形外科医になりたい」と考えたことなど、医学を志した原点に触れた。
 続いて、2度の挫折体験をユーモアたっぷりに紹介し、中高生らの笑いを誘った。
 1度目の挫折は「研修医時代、指導者に毎日怒鳴られ、『じゃまなか』と呼ばれた」というエピソード。研修医1年目、父親が肝硬変の悪化で亡くなり、「一緒に酒を飲み、社会人として助けてほしかったのに」とショックを受けた。
 さらに、脊髄損傷のように当時の治療では治らない患者がいるのを見て「無力感を抱き、自信をなくした」。
 悩むうちに考え方が変わる。「今治せない患者を将来治すには研究の道がある」。大阪市立大の大学院に入り直した。

▼万能細胞
 1993年に米国へ留学。身近にノーベル賞級の優秀な研究者がたくさんいる環境で刺激を受け、さまざまな組織になるマウスの胚性幹細胞(ES細胞)と出合った。96年に帰国後も研究を続けたが、米国と比べてES細胞研究の環境が整っておらず、実験に使うマウスの世話に明け暮れる日々が続いた。
 自ら「アメリカ帰国後うつ病」と名付けるような状態で、「整形外科医になった方がいいのか」とさえ思った。これが「第2の挫折」という。
 だが、98年に米国の研究者がヒトのES細胞を開発。「人間を治せるかも」と意欲が戻った。ES細胞は受精卵を壊して作るため倫理面から反対する意見があり、新たな万能細胞を探すことにした。
 iPS細胞を開発したのは、マウスで2006年、ヒトでは07年。特定の遺伝子を入れて、一度変化した細胞を受精卵のような万能細胞に戻す、生物学の常識を覆す成果だった。「iPS細胞を医療応用するのが使命」と意気込む一方、「研究所の研究者の雇用を守ることも含め、研究の土台づくりのため、マラソンを走って寄付を集めてます」とユーモアも忘れない。
 最後に「自分の見つけたビジョンと働く内容が一致すれば幸せで、生きがいにつながる」と強調。「調子のいいときは悪いことの前兆、悪いときはいいことの前兆ととらえ、一喜一憂しない。いいことがあったら、周囲へ感謝を示すことを忘れないで」と締めくくり、会場から大きな拍手を受けた。

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