(4)変転 国策に翻弄された山再興

2015/07/28 11:51

月3回の競り。県外の業者も足を運ぶ=宍粟市山崎町須賀沢、山崎木材市場(撮影・峰大二郎)

 ここでいったん、時計の針を巻き戻そう。

 昭和30~40年代。戦後復興で、国は天然林を伐採して建材となる針葉樹に植え替える「拡大造林政策」を推し進めた。
 「昭和30年ごろの写真を見たら、この辺でスギやヒノキが植わっとる山はうちくらい。ほかは雑木林やった」
 明治から育てた山林を継いだ小林温(おん)さん(62)=宍粟市一宮町=は証言する。
 何十年かすれば金になる-。そう信じた山林所有者は、スギ、ヒノキを山という山に植栽。市域の9割を山林が占める宍粟では、人工林率が7割を超えた。
 それでも足りないと国は1964(昭和39)年、木材輸入を自由化。円高の進行で外国産木材が席巻する。
 「どんどん安なっていくさかい、山で食えんようになると感じた」。しそう森林組合長の春名善樹さん(71)は振り返る。
 国産材は80年をピークに値崩れし、山から人が離れた。9割を優に超えていた木材自給率は、今は25%ほどだ。
 当時、自由化に反発する動きはなかったのか。
 「林業家は少ないで。団結してどうじゃいうことにはならんかったね」と春名さん。「もうあきらめムードやった」
 結局、人工林は伐採期を迎えたが、手入れのないまま放置された。宍粟でも林業労働者はここ十数年で半減。「森の国」は風前のともしびだった。
    ‡
 「はい、なんぼーかーらーでーすーか。はい八千、八千、八千」
 近隣の木が集まる山崎木材市場(宍粟市山崎町)で、月3回開く競り。独特の節回しは「せり子」と呼ばれる男たちだ。
 同市場の今期(6月期決算)の取扱量8万5600立方メートルはなんと過去最高。12年前と比べて2倍近い量に上る。
 5年前、市場は危機に立たされた。原木の調達から加工販売まで手掛ける「兵庫木材センター」が市内に稼働したのだ。
 県肝いりの競合相手。「あのときは、もうあかんと思うた」。市場の専務取締役、東里司さん(59)は笑う。
 ところが予想に反し、取扱量は増えた。東さんは「道の整備や高性能機械で、作業効率が向上したことが大きい」とみる。
 加えて、3年前に始まった国の森林経営計画制度。一定の広さと木の搬出量に応じて補助金が出る。持ち主の依頼を受けて木を切る「素材業者」の動きが活発化している。
 林業が息を吹き返している理由はこれだった。
 生産量は確かに増えた。しかし、材価自体は上向いていない。スギ1立方メートル1万円前後のままだ。政策の誤算が尾を引いている。
 「今はひずみが出とるけど、ちょっとずつ打ち破っていくしかないでね」。東さんは先を見据える。(黒川裕生)

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