(10)理想の山 手塩かけ育む「百年先へ」
2015/08/04 10:47
春名善樹さんが育て上げた山。理想の姿という=宍粟市千種町七野(撮影・峰大二郎)
幻想的な光景に息をのんだ。
夕闇に沈む棚田に、ポッ、ポッと連なるたいまつの火。7月5日夜、宍粟(しそう)市波賀町飯見(いいみ)地区で「虫送り」が行われた。
水田の害虫を退治し、豊作を祈る伝統行事だが、この地区では初めてという。
山あいに約180人が暮らす同地区。高齢化が進み、近くの小学校も今年3月に閉校になった。「これで集落がちょっとでも盛り上がったらなあ」と世話役の男性。
「ムシムシムシムシ、飛んでいけー」。子どもたちの声が響く。お年寄りが見守る。
初めての行事なのに、この地で営まれてきた歴史を目の当たりにした気がした。
‡
視界いっぱいに並びそびえるのは、苔(こけ)むした樹齢100年のスギやヒノキ。岩を打つ小川の流れ。頭上からヒグラシの鳴き声が染み入るように降り注ぐ。
「静かでええやろがいね」
しそう森林組合長の春名善樹さん(71)=同市千種町=が誇らしげにつぶやいた。300年続く林業家の13代目。同町に約130ヘクタールの山林を持つ。
昭和30~40年代に国が進めた、建材となる針葉樹を一斉に植える「拡大造林政策」には乗らなかった。
「適地適木で、土との相性もあるでね。みんな『植えたらもうかる』言うてどこでも植えよったけど、合わん場所では木はこない大きゅうならんのや」
宍粟の人工林率は7割を超えるが、春名さんの山は5割以下。よその人工林ではあまり見かけない広葉樹も枝を伸ばす。「鳥のえさ(ドングリ)も残しとかないけんでね」。秋には紅葉が映える。
「これが理想の山」
‡
シカ害や材価低迷により、ほとんどの林業家が「皆伐(かいばつ)して植栽する」という作業を投げ出す中、春名さんは愚直に続ける。今年も7ヘクタールにスギを植えた。
「手入れして広葉樹も残しといたら、シカが食べる下草も生えるで。スギの苗なんて、シカもうまいことないわいね」
ぐるりと防護柵を設けた植栽エリア。丸裸になった斜面に、高さ数十センチの苗木が等間隔で頼りなく立つ。
食われるかもしれない。それでも植える。「林業の本質は回転」と信じるからだ。つまり、皆伐し、苗木を植え、間伐で木を育てる。「間伐したらお日さんが入り、山が明るくなる。そら何とも言えんでねえ」
春名さんが林業を継いだ時期は高度経済成長と重なり、材価も右肩上がり。ヒノキをちょっと売れば新車が買えた。稼ぎを一晩で使い果たす山崎町の飲み屋街は「地獄谷」と呼ばれ、にぎわった。
半世紀、林業の光と影を見てきた。かつて家の柱などに重宝された「四面無節(むぶし)」材の価値は見る影もなくなった。今や手塩にかけた木が木質バイオマス発電の燃料として粉砕される時代だ。
「それでも」と春名さんは言う。「10年先、100年先、林業は必ずようなる」
なぜそう思うのですか? 尋ねながら気付いた。理屈はもう十分だろう。
いつも冗談を言っては楽しそうに笑っていた宍粟の人たち。「ここで、生きている」というシンプルな力強さ。その中に、答えはある。(黒川裕生)
◆
「兵庫で、生きる」第1部は今回で終わります。第2部の舞台は、南あわじ市の沼島(ぬしま)。ハモと国生み伝説で知られる島に記者が約1カ月間住み込み、日々を見つめます。連載掲載は9月上旬の予定です。