(9)漁船クルーズ 「新しもん好き」の挑戦

2015/09/22 09:24

漁船に乗り込み、クルーズに出発。わくわく感にあふれる=南あわじ市沼島沖(撮影・小林良多)

 沼島(ぬしま)での空き家住み込み取材も終盤に近づいてきた8月21日。午前7時ごろ、洗濯をしに母屋を出ると、近所のおばあさんが畑で水やりをしている。

 「おはようございます」「ええ日和やね」。あいさつをしながら、空を見上げてほっとする。この日は漁船クルーズの取材。島の周囲10キロを約40分で巡る。
 午後2時、船がゆっくり沼島漁港を出る。波止場を越えると同時に揺れ始めた。これは酔うぞ。身構えた。
 一緒に乗り込んだのは、「盛漁丸」の名に似つかわしくない女子学生ら7人。空は快晴だが、船長の前川仁さん(54)は「台風のうねりが来とるね」。
 沖に出て10分近く。前後、左右に船が揺れ、波をかぶる。「きゃー」「冷たっ」
 奇岩が次から次へと現れる。50メートルの絶壁が波を砕く。檜枝美羽さん(19)=宝塚市=は「小さな島なのに、周りにいろんな表情がある。揺れるのも楽しい」とはしゃいだ。
 ふと、気付いた。酔っていない。波と風を読んだ絶妙のかじ取り。さすがプロだ。

 船を下り、前川さんに港で話を聞いた。「漁船クルーズ、えらい人気ですね」と水を向けると、「思った以上やったなー」と笑顔が返ってきた。
 構想が生まれたのは4年前。観光客は増え始めていたものの、島に金が落ちる仕組みがなかった。アイデアをひねり出したのは漁師たち。うまくいけば、不漁の穴を埋める副業になる。
 「燃料代もかかるし、漁師がそんなことせんでも、と反対の声もあったんやで」
 2013年4月、有志15人が漁の合間に始めた。14年度は、「年間500人、売り上げ100万円」の目標を早々に上回った。
 次は案内用の“台本”をまとめる予定だ。「漁師はしゃべりが下手やから。そこがええという人もおるけど」

 8月29日。いったん沼島を離れ、西宮市に向かった。住宅街にある西安寺。沼島出身者でつくる「おのころ会」の会員と島在住の計100人が集まり、恒例の盆踊りが始まった。
 伝統の音頭「兵庫口説(くどき)」と太鼓、慣れた足運び。沼島弁が飛び交う。「やっぱり落ち着くな」と年配の男性。
 会は1941年に結成され、阪神間を中心に約300人。会報「おのころ誌」を編集する浅見忠彦さん(87)=大阪市=に会った。
 「島に住み込んで取材? いや、ありがとう」。律義に礼を言われた。
 幼少時を沼島で過ごし、水産庁に勤めた。事情が分かるだけに、漁業の退潮などふるさとの様子に気をもむ。
 水軍があり、海運業で栄え、島発祥の漁法を広めた沼島衆。「もともと新しもん好き。自分たちだけで生きてこられたから、逆に時代の変化に気付くのが遅れたんでしょうなあ」と浅見さん。
 だからこそ、「漁業から『おもてなし』の動きが生まれたのは頼もしい」と喜ぶ。おのころ誌最新号には、漁船クルーズが載っていた。(岡西篤志)

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