(6)別れ 突然断ち切られる日常
2015/10/25 16:39
マンションのような外観のグループリビングてのひら。7人満室になったのは1年前だ=高砂市荒井町小松原1(撮影・後藤亮平)
お年寄りに向ける柔らかい笑みが印象的だ。
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深川妙子さん(57)=高砂市=は週1回、66~96歳の7人が暮らす「グループリビングてのひら」=同=で過ごす。デイサービスの話し相手になったり、絵を描いたり。ボランティアのきっかけは、ここで最期を迎えた父だった。
小原和義さん=当時(86)=は、てのひらのオープンから2年後の2012年6月、住人となった。
妻を亡くし、高砂市内で1人で暮らしていたが、神経が圧迫されて下半身が痛む脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)を発症。肝臓がんも患った。抗がん剤治療を続けながら、デイ利用者とおしゃべりや将棋を楽しんだ。
しかし、歩くことさえ難しくなっていった。心配する深川さんに、てのひらを運営するNPO法人の理事長石原智秋さん(68)は声を掛けた。「ずっと住んでもらっていいですよ」。ほっとした。
急変したのは13年5月21日。病院に運ばれ、2日後に亡くなった。
1カ月ほどたって、深川さんは父の部屋を片付けに来た。ベッド、テレビ、冷蔵庫。どれもまだ新しい。住人からは「一緒におせち料理食べたんよ」「屋上から初日の出も見た」と聞いた。
短かったけど穏やかな日々。「亡くなる直前まで、普通の生活ができた。ボランティアは恩返しのつもり」。深川さんは、父が笑顔で過ごした居間に通い続ける。
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てのひらから去っていった住人は、過去にもう1人いる。
最初の入居者、藤井憲一さん(73)=仮名。今は認知症の人が暮らすグループホームにいる。
家族で会社を経営していた。妻が病気で他界し、一緒に暮らしていた息子が結婚したため、藤井さんが家を出ることになった。
そのころ、軽い認知症と診断されていた。少しの見守りがあれば暮らせる状態だったため、11年夏に入居した。
当初こそ通勤もできていたが、病状は徐々に進行した。
夜遅く、他の住人の部屋を「こんにちは!」と大声で訪ねた。買い物の帰り、逆方向に歩き、警察に保護されたこともあった。
ここでは24時間の見守りはできない。長女(43)は「皆さんに迷惑かけるだけになる」と決断。2年間の暮らしが終わった。
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高齢者が一人で暮らす上で、最大の難関ともされる認知症。公的サービスの組み合わせや、徘徊(はいかい)した場合に携帯端末で探す仕組みなど支援策は少しずつ進むが、簡単ではない。
「認知症かどうかで入居の線引きはしない」と石原さんは言う。「でも、他の住人に影響が出れば難しい」
高齢者ゆえの急激な変化。ここでの日常は突然、断ち切られることがある。
(宮本万里子)