(1)危機感 もう一度、街づくり

2015/11/28 16:19

丘陵地を切り開いてできたつつじが丘=三田市大川瀬から(撮影・大森 武)

 1970年代から大規模なニュータウンが続々と開発された三田市。神戸電鉄沿線のフラワータウンやウッディタウンが代表格だが、市北西部の丘陵地にひっそりと、だが確かな存在感をたたえて広がる住宅街がある。つつじが丘、通称つつじ。「兵庫で、生きる」第4部は、現在約7千人が暮らすこの町を見つめる。(黒川裕生) 関連ニュース ナショナルトラスト運動定着へ奨励賞 西宮のNPO 津波訓練ポスターに有村架純さん 兵庫県 「ミニバスケ全関西大会」に丹波の2チーム出場へ


 「こんな雰囲気だったか…」
 下調べでつつじに足を踏み入れたのは、9月上旬だった。
 平日の昼下がり。車が時折行き交うものの、通りは静まり返り、人の姿が見当たらない。
 整然と並ぶ庭付き2階建て。古びてはいないが、時の流れを感じさせる。
 三田は12年前、入社して最初の赴任地だ。古い農村とニュータウンが共存するこの地で「1987年から10年連続で、人口増加率日本一」という言葉を何度聞いたかしれない。
 88年に入居が始まったつつじは、約95万平方メートル、約2400戸。兵庫県などが関わった三田の他地区と異なり、民間デベロッパーに開発された。
 三田中心部からJRで3駅、そこから歩いて30分。篠山市に近く、飛び地のような町だ。それでも当時、大阪や阪神間から子育て世帯が押し寄せた。
 だが、三田で勤務した2003~06年、この町はすでに最盛期を過ぎていた。
 さらに10年近くたった。この町を覆う空気は、何を言わんとしているのか。
   ◇   ◇
 「つつじは今、病院もなくなったからね」
 会って早々、厳しい現実を聞いた。今井昭夫さん(70)は、自治会長やふれあい活動推進協議会長などを担う町の要人だ。
 町唯一の内科医が2年前に急逝して以来、医師の不在が続いているらしい。
 「信じられます? これだけ人が住んでいるのに“無医村”なんですよ」
 これは出産のため東京から里帰り中の宇治原朝子さん(28)の弁。このままでは町の存続にかかわる。
 心配事はまだある。町唯一の小さなスーパー「メルカート」。つつじを開発した不動産会社大倉(大阪市北区)が運営しているが、コンビニより少し広い程度で、満足な品ぞろえは望めない。
 中心部に、大きな商業施設ができます-。入居以来、住民はそう聞かされていた。しかし、予定地は埋まらず、大倉は4年前、住宅地として販売する地区計画の変更を提案した。
 「約束が違う」「本気で誘致したのか」。自治会のアンケートには厳しい声が並んだが、現実は変わらない。
   ◇   ◇
 週明けの30日。7自治会でつくる連絡協議会は、要望書を森哲男市長に出す予定だ。
 内科医院を誘致してほしい。地区計画変更に対する住民の思いを理解してほしい。2点を訴え、こう締めくくる。
 〈我々は安全で地域完結型の、人にやさしい住宅団地になることを望むものです〉
 今井さんたちの話を聞くうちに、よそよそしく見えた町に色味が差してきた。
 行政や業者に頼るだけではない。自分たちでできることはある-。住民たちは動き出していた。

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ