生きるのヘタ会?×神戸新聞

投稿コーナー「私も生きヘタ?」

「不安症」と付き合いながら打点王に
 オリックスコーチ・小谷野栄一さんに聞く

 プロ野球オリックス・バファローズの野手総合兼打撃コーチで、現役時代は打点王に輝いた小谷野栄一さん(41)は約15年間、心の病の一つ「不安症」と付き合い続けてきました。バッターボックスで吐き気に襲われ、寮の自室から出られなくなった苦しい時を経て、「症状が出たら勝ち」と思えるようになるまでの歩みを、恩師であるオリックスゼネラルマネジャー福良淳一さんとのエピソードを交え、語ってくれました。同じ悩みを抱える人へのメッセージも満載です。(聞き手・中島摩子)

--いつからですか?

「北海道日本ハムファイターズに入団し、4年目だった2006年のキャンプのころです。ここぞとプレッシャーがかかるとき、吐き気や目まいがするようになりました。最初は、体の異常かもしれないと考え、脳や胃など全身を調べました。しかし、異常はなく、もしかしたら…、と心療内科を受診。不安症、パニック障害と診断されました」

「不安を感じたとき、自分らしくできなくなり、呼吸ができず、倒れたりします。試合中の打席で、吐いてしまったこともありました。打席に向かおうとすると、何回も吐いてしまう。そうしていると、他のことにもどんどん恐怖が出てきて、最終的にはチームのみんなと練習したり、電車に乗ったりもできなくなりました。寮の自分の部屋から一切、出られない。寮の目の前にグラウンドがあって、みんなが練習している音や歓声を聞くのも嫌になって…。大好きな野球をしたいのに、体が反応してくれません。どんどんふさぎ込んで、毎日、自問自答でした」

--周囲は?

 

「寮長さんがすごく親身になってくださり、チームの練習スケジュールの合間を見つけて、僕が1人で室内練習できる時間を作ってくれたこともありました。そして、その年の秋、2軍監督代行だった福良淳一さん(現オリックスゼネラルマネジャー)に呼ばれ、若手主体のフェニックス・リーグに出ることになりました。福良さんは『まずは打席に立つことから始めてみよう。何分かかってもいい。タイムは何回でもかけるから』と言ってくれました。当時、僕はほぼ野球ができていなかったけれど、このまま野球選手として終わるなら、どれだけ吐いても、好きな野球をやってみようかな、と開き直りました」

「フェニックス・リーグに行く1週間ぐらい前、久しぶりに打席に立った時、若い選手たちがベンチから大声援を送ってくれました。それで、吐きながらでも、1回バットを振ろうと思えました。背中を押され、勇気を出せたことが多かったように思います」

--リーグでは?

「1試合で、4回も5回もタイムをかけてもらいました。守りながら倒れたり、トイレに行って、ネクストバッターズサークルに入れなかったりしたことも。自分でタイムをかけて、吐くこともありました。でも、みんなが協力してくれ、何回でも、何分でも待ってくれた。どう乗り越えたか分からないぐらい必死でしたが、リーグの約1カ月間、野球に取り組めたのは、福良さんや球団、みんなのおかげです」

--その後は?

「自分自身も信じられませんが、翌年からレギュラーとして1軍で試合に出ています。そんな未来が訪れるとは、僕自身も、周囲も、思っていませんでした。選手を長くやりたいというより、この日を後悔したくない、この日が来てくれてありがとう、と思っていました。その結果だと思います」

「吐き気が出ても、チームメートには『僕はこれがルーティンだよ』と伝えていました。『みんなが2回ウオーミングアップするなら、僕はサードアップだ』とか。不安になるのは、みんなの足を引っ張ったらどうしようとか、僕のせいでチームが負けたらどうしようとか、あまり良くないことを想像したときです。それで、急に症状が出るかもしれないけど、そういうときこそ『自分に勝った』と思うようにしました。出ないようにしようではなく、『出たら勝った』にしたんです」

--勝った?

「吐き気の症状が出たってことは、それだけ真剣に考えているということです。ドキドキや不安を『ワクワクと思え』という合図だ、悪いものが出たからもう大丈夫だ、と思うようにしました。症状が出てもいいや、出たら勝ったと思えば、恐れるものはありません。考えを転換して、そう思えるようになってから、好きな野球ができています」

「大学時代の4年間、日記を書いていたことを思い出し、再び書くようになりました。できたこと、続けられたことを書きます。例えば、電車に乗れた、乗れなかったで一喜一憂するのではなく、2日連続で駅まで行けたら、ほめてあげる。自分をどんどんほめる方向へ持っていきました。そして、日記の最後は、みんなへの感謝や『ありがとう』で終わるようにしていました」

--小谷野さん自身、周囲との関わり方は変わりましたか?

「恥ずかしいと思っていた自分の弱い部分をさらけだすようにしました。以前は完璧主義に近い人間だったんですが、こっちの方が魅力を感じてもらえたのか、人付き合いがうまくいくようになりました。正直…、過去の自分は人から見たら、あんまりいい人間ではなかったと思います。一匹おおかみというか、自分が『こうしたい』ということに対して、人のやりたいことが違ったら、『こうしないと勝てない』と押しつけたりして。そして、それを言った手前、自分が完璧でいないといけないプレッシャーを感じ、爆発したこともありました。僕自身、弱い自分を出した今の方が、自分のことを好きです。人のことも、いいところを見ることができようになって好きになれました」

--目まいや吐き気などは減りましたか?

「久しぶりに何かまた始めないといけないとか、そういう時には症状が出ます。現役時代は毎年、人がほとんどいないキャンプの紅白戦の第1打席に症状が出ていました。ほかの選手は開幕戦が一番緊張すると思いますが、僕は紅白戦の第1打席が一番緊張します。それで『また、今年もこれで始まったか』と自分自身を受け入れ、今年もここからスタートすればいいんだな、という繰り返しでした」

「プレーヤーとして一番吐いたのは、引退試合でした。早く一打席を終わらせて、辞めようかな、というぐらい緊張しました。ずっとトイレにこもっていました」

--周囲は、どういうふうに接すれば?

「チームメートは僕に対して、言葉を選ぼうとしてくれていました。なんて声をかけたらいいか分からない、という感じだったと思うんです。それに対し、頑張れという言葉は好きじゃない、などは伝えていました。好きなのは『一緒に楽しもう』という言葉。その方が前向きになれます。真剣に取り組んでるんだから、楽しもう、と言われる方がうれしいです」

「それと、僕の経験では、会えるなら、そばにいてくれるだけで安心感が持てて、心強いと思います。寄り添ってもらえるだけで、感謝していました。また、愚痴に聞こえるかもしれないけれど、自分が一生懸命に発信したことを聞いてくれるだけでうれしいんです。アドバイスより、一緒にいて、話を聞いてくれる。そういう行動とってくれた人の恩は忘れません」

--コーチになってからは。

「コーチになりたてのころは、経験したことがないことばかりだったので、毎日、不安症の症状が出ていました。でも、不安症の経験がなかったら、この立場で野球をやらせてもらっていないだろうと思うぐらい、自分の経験が生きていると思います。今までのコーチの方なら、経験や技術をすぐに伝えようとか、教えなきゃと思うかもしれないけれど、僕は一緒に作りあげていく、寄り添ってやっていく、というスタイル。そういうスタイルを築けたのは、僕が経験したり、福良さんに温かい言葉をかけてもらったりしたから。この病気になったおかげだと思っています」

 

--不安症やうつなど、生きづらさを抱えている人たちに伝えたいことは。

「僕自身は、不安症を公表し、励ましてくれる人がいて、人生がいい方向に変わりました。自分が何かを積極的にチャレンジしたいと思っている中での不安なら、自分にとってプラスにもなると思います。何かにチャレンジして、真剣に物事を考えている自分なら、どんどん自分をほめてあげて、なりたい自分に対して、一歩ずつ進んでほしいと思います」

「僕は、この症状が出なくなったら、逆に『野球に全力で向き合えているのか?』と、自分自身を疑うことにもなります。バロメーターみたいなもので、これと一緒にうまく生きていきたいと思っています」

--シーズン開幕に向け、神戸のみなさんにメッセージを。

「昨年は、日本シリーズを神戸で戦うことができ、チームにとっても、神戸のみなさんにとっても、思い描いたことが現実に起きました。今年も変わらずに、というか、昨年以上に応援してほしいです。神戸だけでなく、大阪にも来て、若い選手が躍動している姿を見てもらいたい。今シーズンもぜひ一緒に戦ってください」

<小谷野栄一さんのプロフィル>

 1980年生まれ。東京都出身。右投げ、右打ち。創価高、創価大を経て、2002年のドラフト5位で日本ハムに入団。10年に打点王、ベストナイン(三塁手)。ゴールデングラブ賞も3度。15年にオリックスに移籍し、18年に引退。19年は楽天でコーチを務め、20年からオリックス。




 

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