(1)最期、家族みんなで
2019/08/11 06:00
容体が急変した廣尾すみゑさんの周囲に家族や友人、医師、看護師が集まった=6月18日午後、小野市内
■容体急変「孫帰るまで待っとって」
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日差しが心地いい日だった。梅雨入り前の6月18日、私たちは小野市に住む廣尾(ひろお)すみゑさん(68)と会う約束をしていた。
向かった先は、市北部の建具店に併設された民家。すみゑさんは結婚して50年近く、この家で暮らしてきた。今は夫と長男夫婦、小学生の孫ら6人と同居している。
今年2月に末期の大腸がんが分かり、入院。2度の手術をしたが、がんは全身をむしばんでいた。長くは生きられない。すみゑさんは自宅に帰りたいと思いつつも、「帰ったら、若いもんに迷惑掛ける。最期は病院で」と何度も口にしていた。
5月の終わり、長男辰也さん(45)の妻、理絵さん(44)がこう切り出した。
「もう家に帰ろうよ」
そして6月10日、わが家に戻ってきた。
◇ ◇
この春以降、私たちは家でのみとりを支える医師や看護師に取材してきた。そのうちの一人から紹介されたのが、すみゑさんだった。
6月18日は初めての訪問だった。午後1時前、「こんにちは」と玄関で声を掛け、靴を脱いで上がった直後、ただならぬ空気に気づいた。
奥の和室に、家族や友人に体をさすられながら、顔をゆがめるすみゑさんがいた。前夜まで一人でトイレに行けるほどだったが、午前11時ごろから急変したという。
取材していいのかどうか、戸惑っていると、理絵さんに促された。「ばあちゃん、楽しみにしてたから」。すみゑさんは私たちの訪問の日時を紙に書き、よく見える場所に張っていたらしい。
ベッドのそばに寄り、声を掛けると「自分の体じゃないみたい。元気がでーへん」と返ってきた。
退院を決めた理由を尋ねてみる。「ええ空気が吸いたかった。この自然の風がいい」
和室の窓から見える山も、家の前の田んぼの苗も、緑がいきいきとしている。ちょうど窓から風が入ってきた。すると、すみゑさんが「あぁー」と声を上げる。
しかし、体調は目に見えて悪くなり、ときに意識がもうろうとなる。
取材を始めて10分後、連絡を受けた看護師が到着し、理絵さんを隣の部屋に呼ぶ。
「血圧が測れない。みんなを呼んでほしい」
一気に慌ただしくなった。理絵さんがすみゑさんに「(孫の)色花(いろは)が学校から帰ってくるまで、待っとってよ」と声を掛け、看護師は「つらいこと、痛いことないからな」と優しく語りかける。
◇ ◇
取材を控えようとした私たちに、長男の辰也さんが「聞いたって」と声を掛ける。連日、訪れていた看護師からも「(しゃべって)残さなあかん、と言ってた」と言われる。
「家族に伝えたいことは?」と質問した。すみゑさんは目を閉じ、「はー、はー」と息をしている。「いい家族に恵まれて、おおきに」
ゆっくりと、少しずつ、言葉が刻まれる。
そして、「あるがままに、病気を受け止めようと思うたら……難しかった」。
しばらくおいて、すみゑさんは言った。
「ええ人生やった」