(17)最期まで、一分一秒楽しむ
2019/08/29 10:34
2月下旬、清水千恵子さんは笑顔を交えながら取材に応じてくれた=神戸市東灘区
今回から、4カ月間にわたって私たちの取材に応じてくれた女性の話をしたい。
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神戸市東灘区の清水千恵子さん。2005年に乳がんが発覚し、昨年1月には余命半年を告げられた。長く自宅で闘病を続けたが、体調が急変して病院の緩和ケア病棟に入り、70歳で亡くなった。
私たちが千恵子さんに初めて会ったのは2月下旬、まだ寒い季節のことだ。
その日、私たちは神戸市東灘区のJR住吉駅からバスに乗り、山手の住宅街にある千恵子さんの自宅を訪ねた。
玄関から顔をのぞかせた千恵子さんが「神戸新聞さんですか?」と声を掛けてくれる。高い声に張りがあり、頬もふっくらとしていた。
リビングに案内され、向かい合って椅子に座る。窓際に介護ベッドが置かれ、机にはスイセンの切り花が飾られている。「がんは最初からステージ4。『もう手遅れ』って言われてね」。当時はJAの事業所で、入荷の受付や包装の仕事をしていた。
「手術とか抗がん剤治療をしながら、それでも10年ぐらいは働いたの」
がんはリンパ節や骨をむしばむ。20分ほど歩くと脚の骨が痛み、自力で体を起こすのも難しいとつぶやく。「医療的には終末期を迎えてるわね」。勢いよく話すと、息が切れる。
それでも、住み慣れた家での生活にこだわってきた。自宅で暮らしていると、編み物の習い事に通ったり友人に会ったり、自由に外出できる。「最近はきょうだいが食事に連れ出してくれるの」。壁のカレンダーには、予定がびっしり書き込まれている。
昨年、余命半年を告げられた際、緩和ケア病棟への入院を勧められたが、断った。訪問診療や訪問看護も「外に出掛けるのを制限されそうで」と、利用しなかった。
今年になって、息ができないほどの強い痛みに襲われるようになる。時々、処方された医療用麻薬に頼る。
「できるところまで自力で痛みをコントロールしながら、家で過ごしたい」。千恵子さんが私たちの目を見て、言葉を継いだ。「死期が近づいてきているのは分かっている。だから、一分一秒を楽しむようにしているの」