(1)暮らし続けたい。一緒に
2019/10/29 05:00
捜索用のビラを前に話す小島光子さんの長男と長女。光子さんは折り紙が好きだった=小野市内
■認知症の母、突然姿を消した
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秋晴れの空が広がり、山から吹き下ろす風は少しひんやりしている。私たちは古い一戸建てが並ぶ小野市の住宅街を訪れた。ここで昨年9月、認知症の女性が行方不明になった。40年以上暮らしたまちから、こつぜんと姿を消した。
女性は小島光子さん=当時(79)=という。住宅街の一角にある自宅で、私たちは長男(45)と長女(46)に話を聞いた。
光子さんに認知症の症状が現れたのは、4年ほど前のことだ。「今から思えば、という感じですが…」と長女が教えてくれる。プロ野球観戦が好きで、よく野球場へ出掛けた。すると試合中、トイレに立った光子さんが席に戻れないことが、何度かあったらしい。持病の糖尿病の薬を飲み忘れるようになったのも、このころだ。
家族の勧めで病院を受診すると「異常なし」と言われた。しかし前後を逆にして服を着るようになり、毎日入っていた風呂は数日おきに。長女は「それでも、母は『先生が大丈夫って言うた』という感じやったんです」と言って目を伏せた。
◇ ◇
光子さんは穏やかな人だった。本が好きでおっとりしていて、料理が上手だった。「シューマイやギョーザも手作りでおいしかったです」。元気なころの話になると、長男の表情が少し和らぐ。
次々と認知症の症状が出ることで、家族の関係が変わってしまったという。糖尿病で食事制限があるのに、光子さんは一日に何度もご飯を食べた。「そんなとき、家族は『食べたらあかん!』って強く言ってしまうんです。母は何も分かっていなかったのに」。長女の目が潤む。
インスリンの注射を打とうとする長男に、光子さんが「殺されるー」と叫んだこともあった。「何年かしたら施設に入れなあかんなと思ってたんです。でも施設で暮らすと、悪化するとも聞いたことがあるので…」。長男が悔しそうに振り返る。
アルツハイマー型認知症と診断されたのは、昨年8月のことだった。
◇ ◇
認知症の診断から1カ月後の9月19日、光子さんは朝7時ごろに自宅を出た。家族は散歩と思って、見送っている。ところが、いつまでたっても帰ってこない。家族の通報を受け、警察と消防による捜索が始まった。
自宅を出て30分ほど後、近所の女性が、住宅街のごみステーション近くで光子さんの姿に気付いている。夜には、行方不明騒ぎを知らない顔見知りの女性が、やはり住宅街の中で光子さんを見掛けている。それが最後の目撃情報となった。
小島さんの一家は42年前、今の住まいに引っ越してきた。近くに長男や長女の同級生も多く、家族ぐるみの付き合いもあった。だが、光子さんが認知症になったことを知っている人は少なかったようだ。
今年の夏、光子さんの帰りを待っていた夫=当時(80)=が亡くなった。「父は病気だったんで覚悟をしていました。でも、母は…」。長男がためらいながら言葉を続ける。「死んだという可能性もあると思っています。死体でもいいから見つかってほしい」
生きているのだろうか。区切りのない日々が、もう1年以上続いている。
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小島光子さんに関する情報は、小野署(TEL0794・64・0110)まで。