(13)最期までこの町とともに

2019/11/12 12:23

ケアタウン小平で父親をみとった真道美恵子さん=東京都小平市

 東京都小平市にある「ケアタウン小平」には、在宅医療専門クリニックやデイサービスセンター、高齢者らが暮らす賃貸住宅「いつぷく荘」が入る。芝生のグラウンドや子ども向け図書室があり、地域の人も出入りできる。 関連ニュース <生老病支>園芸療法 心身穏やかに、終末期にも効果 学べる場少なく、情報発信など課題 「医者の卵」が朝来で訪問診療体験 芦屋出身の医大生「総合的診療の大切さよく分かった」 考えませんか「在宅療養」 不安解消へ明石市がハンドブック 支援体制や実例など紹介  

 住民にとって、どんな場所なのだろう。「安心して子どもを遊ばせられる場所です」と話すのは、近くに住む真道(しんどう)美恵子さん(58)だ。ケアタウンができる前年の2004年、隣の小金井市から家族で引っ越してきた。
 ケアタウンが完成すると、園児だった長女はデイサービスセンターでお年寄りと遊び、次男はグラウンドでサッカーを楽しんだ。秋のイベントでは露店が並び、家族みんなで訪れた。
 10年ほど前の秋のことだ。美恵子さんは、肺がんを患っていた父の宮坂昭二さんにケアタウン内の「いつぷく荘」への入居を勧めた。母の悦子さんも病気で、横浜に住む美恵子さんの姉のところに移っていたが、昭二さんは長野で1人暮らしを続けていた。医者嫌いの昭二さんも、自室での訪問診療ならと納得したようだ。
 年が明けると、昭二さんは寝て過ごす時間が多くなり、次第に衰弱していった。2月14日未明に最期を迎える。同じ日の朝、悦子さんも姉の家で息を引き取った。
 父と母の死を思い起こしながら、美恵子さんは「ケアタウンは地域に開かれていて、昔から子どもがお世話になり、父もここで亡くなった。自分が暮らす地域にこういう場所があって、本当に幸運だった」と話した。
 私たちはケアタウンの在宅医療専門クリニックを訪れ、院長の山崎章郎(ふみお)医師(72)にこれまでの歩みや手応えを聞いてみた。
 「オープンから10年ぐらいたつと、自分や家族が病気になっても『ケアタウンがあるから相談してみよう』という雰囲気がまちに生まれてきました」。運営を支えるボランティアは今では約100人を数える。遺族会もできた。
 「一人一人の死がいろんなつながりを残し、1人暮らしになっても最期まで居られる地域になっているのかなあって。そう思います」。山崎医師が手応えを口にした。
 滋賀県の旧永源寺町。東京都小平市。地域でつながることで住民は安心感を覚えている。真ん中に、人々を支える医師の思いがあった。

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